死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(10)お見舞いが助けになる時、ならない時 米田武義

2015年4月8日07時08分 コラムニスト : 米田武義 印刷
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本当に苦しい時、自分の力ではいかにも難しい時、私はもう子どものように、子どもが親に助けを求めるように、神様に助けを求める。精神的な苦痛、肉体的な苦痛を神様に訴え、助けて下さい、何とかして下さいと、ただ執拗に泣き叫び続ける。子どもの親に対する態度と同じである。

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」(イザヤ書41:10)

こんな時にお見舞いは助けにならない。お見舞いは今思うに、幾分余裕ができて自分なりに何とかできる時、またはそういう状態になった時に大変嬉しいし、有難いと思う。今まで私は、重病ほどお見舞いは大切と思い行ってきたが、相手にとっては本当に迷惑であったろうと思う。特に年を取った人に対して重病の時に無神経に見舞いに行ったことを深く後悔する。

一般に年を取ると鈍くなるので、病気が若い人ほど苦痛ではないだろうと思うのは、誤りであると最近思い始めた。というのは自分自身を振り返ってみて、若い時の方が何かにつけ、こだわりがなく、深く悩むこともなく、やり遂げてしまっている。神経が行き届かないのかもしれない。思いやりが欠けているのかもしれない。知識が浅薄なのかもしれない。いろんな意味で若いのである。

私はいまだ私の年令以上の経験はないので、想像するほかないが、年とともに病気に対する苦痛は軽減することはないと思っている。むしろ増加すると思っている。もちろん、年を取り意識ももうろうとしている状態では別だが。

父と母の病床にあった時を思い出す。2人とも肺を患い、ひどくなってからは見舞客が常に数人周りを取り囲んで、誰も無言で神妙に患者を見守っていた。患者はもちろん意識はあるが、物は言えない。みんな席を外してほしいと思っていたかもしれない。見舞客もそうかといって患者一人にして別の部屋に待機というのも変なものだろうから、神妙に患者の周りに座り続ける。患者、見舞客、双方共に窮屈で迷惑でさえあるこの変な習慣は、患者が無力で、物言わず、死んでいくので営々と受け継がれ続いていく。外国ではどういう習慣があるのだろうか。

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米田武義

米田武義(よねだ・たけよし)

1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。

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