聖書は、信仰を次のように定義します。
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。(ヘブル11:1)
信仰とは、目に見えない事実を確認することだというのです。可能思考とか、思い込みの強さではないのです。心の目で、まだ見ていない事実を見ながら生きる生き方です。
可能思考や思い込みは、事実かどうかは問題とはなりません。信仰を、これと同じように解釈する人がいます。
「私はまだまだ信仰が足りないので……」「信仰者とは名ばかりで……」
しかし、信仰とは、思い込みの類いではなく、事実に基づく生き方なのです。そのためには、まず事実を知らなくてはいけません。事実を知るためには、聖書を学び、信じることです。
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。(ローマ10:17)
信仰とは特殊な才能ではなく、神の言葉である聖書を聞き、学ぶことから始まります。今朝も聖書を開き、聖書の言葉に耳を傾けましょう。さらに祈り、その事実を確認し、確信しながら生きていきましょう。
問題があっても、先取りして感謝し、希望を待って生きる生き方には、不動の喜びと平安があります。もし、私が信仰によって生きていなかったとしたら、激動のこの世界を生き抜く自信はありません。
信仰とは、可能思考や思い込みで生きることではありません。事実に基づいて、まだ見ていない事実を見ながら生きていくことなのです。そこに、希望と喜びと平安があります。そんな生き方をご一緒しませんか?
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