不条理なる死を不可知の光で中和せよ
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義はゴールではない ローマ書5章考察(その4)
神を超えるのが人間の理想である。故にニーチェは偉いと思う。目標は高くあるべしだ。ところが、悲しいことに神を超えるといえども、その神がどれほどの高みにおられるのかについて、何とも人間は無知なのだ。分かっているようで、実は全く分かっていない。
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義はゴールではない ローマ書5章考察(その3)
どういう経緯だったかは分からないとしても、ローマではかなり早い時期からキリストへの信仰を持ったグループがあったのだ。もちろん、パウロよりもずっと早く入信した人がいたであろうことも想像すべきことだ。
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義はゴールではない ローマ書5章考察(その2)
「イエス・キリストによる神との平和」が、われわれに希望を与えるとパウロは言う。神との平和とは、何ともつかみようのない言葉ではある。私が思うに、真のグレイトな人間というのは、神との平和よりも、神に打ち勝つことを目指すのではないか。
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義はゴールではない ローマ書5章考察(その1)
わが誇りはいずこにありや――。私は「グレイト」な人間になりたいと願っている。「ビッグ」ではなく「グレイト」である。大きいだけでは意味がないのだ。ダントツで褒めたたえられる人間になりたいのだ。自分磨きとはそういうものではないか。
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ちょいとヤバイ話をしようと思う(その3)
聖書の教えに反しているという諸々のことについては、その気になれば、いくらでも言い訳が可能であるが、それでよいのかという気もする。というのも、聖書を読みながら言い訳を考えるとしたら、そもそも聖書の教えを重んじていないのだろう。
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ちょいとヤバイ話をしようと思う(その2)
「神を知りながら、神をあがめることも感謝することもせず」(ローマ書1章21節)とパウロは述べているのであるが、現代人としてどのように反論すべきだろう。「神の永遠の力と神性は被造物に現れ」(同20節)ているとパウロは説明する。
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ちょいとヤバイ話をしようと思う(その1)
神について知り得る事柄は、つまり神の力と神聖(神性)は被造物に現れているのだから、われわれ人間もまたそれを知り得るのであり、「私は神を知りませ〜ん」という弁解はできないというのがパウロの言い分であるような気がする。
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命の木はどこに行ったのか 再び創世記(その3)
命の木はどこに行ったのか。せっかくエデンの園に植えられたものだ。それは「神の命」を象徴しているものだから目に見えなくてよいのだ。と言ったら逃げになるだろうか。もしもわれわれが、命の木に手を伸ばしたら神の主権を侵害してしまうことになるから、考えるに及ばないことなのだろうか。
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命の木はどこに行ったのか 再び創世記(その2)
命と知識、どちらを尊び、どちらに手を伸ばすべきか。問い方を変えよう。知識がないと命は危ういか。そりゃそうだろう。この世で命を保っていくためには知識が必要である。
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命の木はどこに行ったのか 再び創世記(その1)
人間は死ぬ。のだろうと思う。死ななかった人間はいないというのは事実なんだろうが、今生きている人間もいずれ死ぬという前提は、実は生物学的な予測にすぎない。とはいえ、恐らくその予測は当たる。
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貧しさとは何であるのか(その3)
全くの偶然だった、とは言い難いのであるが、とにかくイエスの生前葬は行われたのだ。恐らくマリアはその時が来るのを待っていたのである。そのために高価な香油をたくさん蓄えていた。塗油は古くから行われている行為で、伝統教会では今も行われている。
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貧しさとは何であるのか(その2)
イエスが貧しい人々と共にあろうとしたというのは、事実だと思う。その「貧しさ」とは、お金がないことを意味することはもちろんであるが、お金といっても、それはいわゆる現金という意味ではなく、今日を生き延びるために必要な何かということであろう。
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貧しさとは何であるのか(その1)
今回取り上げるのは、イエスの葬りについてである。ベタニアでの会食と、それに続くマリアの塗油が意味することを考えてみたいと思う。そうではなく、考えたいのは、イエスを葬るということがわれわれにとって何を意味するのか、である。
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詩編の味わい―結論を見いださない何かが大事なのだ(その4)
イエスは、詩編22編の言葉を口にしながら息を引き取った。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27章46節)。これは、詩編22編2節にある言葉である。
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詩編の味わい―結論を見いださない何かが大事なのだ(その3)
詩編24編に、「城門よ、頭を上げよ。とこしえの門よ、身を起こせ」という言葉が繰り返されているが、「うなだれた城門」と表現すれば、これは現代人の姿と合致するかもしれない。
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詩編の味わい―結論を見いださない何かが大事なのだ(その2)
「わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑(くず)、民の恥」(詩編22編7節)。こんな言葉は簡単には書けないものだ。せいぜいが心の中で思い浮かべるくらいである。まあ、口にすることはあるかもしれないが、文字として残すのは遠慮したい。
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詩編の味わい―結論を見いださない何かが大事なのだ(その1)
どういうわけか、われわれ人間は言葉を持っている。それは神の創造の初めからそうなのだ。人間は自身の言葉によって神に応答することができた。神が「お前はどこにいるのか」とアダムに問うたとき、彼は彼自身の言葉で答えることができたのである。
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「え、神の名前?」(夏の番外編)
「マスク警察」なる言葉を考案した人は誰であろうか。なかなかセンスがある。2023年の文脈であれば、それが何を意味しているのか大体は分かる。ところが、それが2018年ならどうだろうか。その意味するところは全く自明ではなかったはずである。
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放浪も味わいであるが リベカの詐欺事件解毒(その2)
悪夢ではない。しかし、予想外ということはいくらでもある。たとえ夢であったとしても、神が自分に語りかけるなど、普通は想像ができない。神はそれなりの人間にお告げを知らせるのであろうし、その特別な人間を通じて神の言葉を聞くと考えるのが普通である。
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放浪も味わいであるが リベカの詐欺事件解毒(その1)
旧約聖書に書かれているイスラエルの歴史、その全てをキリストに結び付けることは私にはできそうにもない。つまり、「この箇所はキリストとどのように関係するのか」と問われても、答えられないことの方が多いのだ。
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