グラミー賞受賞ゴスペルアーティストのドニー・マクラーキン牧師に関するニュースが、1月5日に米国で報じられると、瞬く間に世界中に広がった。そのニュースとは、彼の元個人秘書が、彼から性的暴行を受けたとして提訴したというものだ。
訴訟を起こしたのは、ジュゼッペ・コルレット氏。2日にニューヨーク州最高裁に訴状を提出し、各メディアにその情報を伝えた。最初に報じたのは、コルレット氏から情報を受けた米国のメジャーTVネットワークであるNBCで、5日に確認を取り、コルレット氏本人にもインタビューして同日に報道した。
その後、翌日6日までに、USAトゥデイ紙、ロサンゼルス・タイムズ紙、ニューヨーク・ポスト紙、TMZ、ピープル誌など、大手メディアや芸能メディアが次々と報道した。ニュースはネット上で瞬く間に広がり、ゴスペル音楽界だけでなく、キリスト教界にも衝撃を与えた。
マクラーキン牧師が牧会する「パーフェクティング・フェイス教会」にも、多くのメールや電話が寄せられた。その混乱を沈静化させようと、マクラーキン牧師は7日、自らのフェイスブックで声明を発表した。そのことについては、クリスチャントゥデイでも報じられているので、そちらを参照してほしい(関連記事:ゴスペル歌手で牧師のドニー・マクラーキン氏、元秘書による性的暴行告発を否定)。
騒ぎを収めようと行った投稿だったが、実際にはSNSでさらに拡散されることになった。実は、私もマクラーキン牧師のフェイスブックの投稿を見るまで、この件について知らなかった。私が気付いたころには、既に彼についての投稿はSNS上にあふれていた。
「I stand with you(私はあなたと共に立つ)」という肯定的な投稿から、「He is lier(彼はうそつき)」という否定的な投稿まで、SNS上には連日、うわさや個人の意見が投稿されている。
現時点では、まだ提訴されたという段階であり、その後は何も進んでいない。しかし、SNS上では、無関係な人たちが議論を始め、その議論はますます大きくなっている。私も少し読んだが、見るに絶えないたくさんの投稿に目を覆ってしまった。読んでいるうちに、こちらまでメンタルがやられそうだった。
陰口を言う者の言葉はごちそう。腹の隅々に下って行く。(箴言18:8)
この聖句が思い浮かんだ。多くの人にとって、有名人のゴシップは「ごちそう」なのだ。
心配になってマクラーキン牧師に連絡してみたものの、返事はない。そのうち、既読にもならなくなったので、さらに心配になった。私も身近な人に訴訟を起こされた経験がある。そして、それが原因でうつ病になった。
このままではらちが明かないと思い、日曜日だった11日に、ニューヨーク州フリーポートにあるマクラーキン牧師の教会に足を運んだ。どのような状況なのか、確かめたかったからだ。きっとテキストメッセージもたくさん来ていて、私のメッセージはその中に埋もれているのだろう。直接本人に会って、話を聞いた方が早いと思った。
私が担当している日本語教会「ジャパニーズ・ゴスペル・アッセンブリー」(JGA)のオンライン礼拝を終えてから向かったので、彼らの礼拝開始時間から45分近く遅れて到着した。既に多くの参加者が賛美をし、会堂内は熱気に包まれていた。私は、前から3列目の席に案内された。会堂内には物々しい雰囲気は全くなく、いつもの通りだった。私は少しホッとした。隣に座っていた参加者は、私に笑顔で握手を求めてきた。これもいつもと変わらない光景だった。
私が着席したころ、マクラーキン牧師がちょうど講壇に上がってきた。すると会堂内は歓声と拍手に包まれた。この時の雰囲気は、いつもと少し違うと思った。歓声と拍手からは、教会のメンバーたちが力を合わせて、この困難な時期を乗り越えようとする決意のようなものが感じられた。また、彼を支えようとする愛も感じられた。
マクラーキン牧師は、賛美歌「Leaning On The Everlasting Arms」をテンポよく歌い始めた。それに私は驚いた。なぜなら、この曲は私が前日、彼のことを心配していたときに真っ先に思い浮かんだ賛美歌だったからだ。この礼拝の様子は、パーフェクティング・フェイス教会のユーチューブで見てほしい。
マクラーキン牧師は礼拝で話しながら、私のことに気付き、声をかけてくれた。私が彼の教会の礼拝に参加するのは約1年ぶり。久しぶりに見た友の顔がうれしかったのかもしれない。表面的には、いつもと変わらない様子に見えたが、私はまだ心配していた。なぜなら、私がうつ病になったとき、周囲の人たちは私の異変には全く気付いていなかったからだ。
私の場合、訴えてきた人物は、私が信頼し親しくしていたクリスチャンだった。家庭内暴力(DV)加害者の夫についての相談にもよく乗ってもらっていた人物で、私はとても信頼していた。しかし、実際には、彼女は夫とも通じていて、私の話したことは全て夫に筒抜けだった。そのことを知ったのは、裁判になってからだった。
私は愛していた夫だけでなく、信頼していた人物にも裏切られてしまった。私は見知らぬ海外で孤独になり、絶望した。「なぜ神様はこんなことを許すのか」「クリスチャンとは何なのか」と苦悩しながらも、私はゴスペル音楽プロデューサーとしてショーを続けなくてはならなかった。
表面的には神をたたえながら、心の中では神を信じられなくなっていた。この表面的な振る舞いと心の乖離(かいり)は、私を長いうつ病生活に導いた。うつ病が悪化し、私は仕事を失うことにもなった。そんな自分の経験から、マクラーキン牧師も礼拝を導きながら、実際にはかなり無理をしているのではないかと思った。それでも、彼は礼拝を最後まで滞りなくやり遂げた。
礼拝後すぐに、マクラーキン牧師に呼ばれ、私は彼の近親者数人と共に彼のオフィスに入った。彼は、一連の経緯を話してくれた。その内容については、ここで私が述べるべきではないので、控えさせていただきたい。私は本人から直接説明を聞くことができて少し安心した。
しかし、やはりマクラーキン牧師のメンタルが心配だった。提訴について大きく報道されたこと、それによる誹謗中傷、一気に押し寄せた仕事のキャンセルは、やはり彼の心に大きなダメージを与えたはずである。礼拝後、彼は明らかにいつもより疲れていた。彼の新しい教会「パーフェクティング・ニュー・ジェネレーション」で行う午後の礼拝には、出席せず休みたいと言っていた。彼も人間だ。私ですらSNSを開きたくなくなったのだから、本人がつらいのは当然のことだ。
しばらく話をした後、帰り際に「僕のために祈っていてほしい」と言われた。私は「もちろん、毎日祈る」と返事をした。そして、その約束を守り、私は毎日心から彼のために祈っている。しかし、その祈りは、裁判所の判断についてではない。無関係な人たちの投稿がSNSでこれ以上広がらないように、マクラーキン牧師の心の平安が守られるように、主の御腕で彼を支えてほしいという祈りである。
そして、祈りはマクラーキン牧師に対してだけではない。彼の家族や、彼の教会のメンバーのためにも祈っている。提訴したコルレット氏に対してもだ。きっと彼にも同じくらい無関係な人たちによる誹謗中傷の投稿がなされていることだろう。クリスチャントゥデイの記事にも書かれているように、マクラーキン牧師自身も、自分だけでなく、自分を訴えた相手であるコルレット氏に対しても祈るように呼びかけている。
マクラーキン牧師によれば、残念ながら、日本人からもさまざまなコメントが寄せられているという。応援するコメントもあれば、その逆もあるそうだ。私は彼から「日本のファンの皆さんに、訴訟のことは心配しないでほしいと伝えてほしい」と言われたため、この寄稿を書くことにした。
また、誰をもそしらず、争わず、寛容で、すべての人にどこまでも優しく接しなければなりません。(テトス3:2)
「人のうわさも75日」というが、正直75日もこんなことが続いたら、本当に心が病んでしまう。確かに、このニュースはショッキングなことかもしれない。しかし、第三者である私たちが、ああだこうだと臆測で語るべきではないし、愚かな議論に首を突っ込むべきでもない。
日本のゴスペルファンの皆さんにも、クリスチャンの皆さんにも、裁判所が判断を下すまで静かに待っていてほしいと私は思う。真実が明らかになる時はやってくる。そして、その判断は裁判所がすることであり、第三者の私たちがすることではない。
きょうだいたち、互いに悪口を言ってはなりません。きょうだいの悪口を言ったり、きょうだいを裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになるのです。(ヤコブ4:11)
神様は必ず真実を明かしてくださるお方である。私たちが兄弟姉妹を裁くことは、愚かな行為だ。ぜひ、心ある読者の皆さんは、事の成り行きを静かに見守ってほしいと思う。
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