死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(4)神との交わりの時 米田武義

2015年2月27日06時21分 コラムニスト : 米田武義 印刷

神との交わりの時

神との交わりの時を1日1回は持つ。他の仕事が忙しい時は、その仕事を止めてでも交わり優先。聖霊は、私が意識していようがいまいが存在する。幼い時は、父母、次いで自分が中心であったが、涙をもって決心した時、聖霊が自分の中心になった。

「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください」(ルカの福音書18:13)

信仰を持ってからも犯し続けた罪は数えきれない。この世にあっては、神の子であっても私たちは罪をくり返す。その都度、懸命に心より悔い改めて、いつまでも悩まず、その都度ダビデのようにすっきりとし、むしろ主眼はいつも神の喜ばれることをすることに留意する。

「神よ。この私はあなたの御目には取るに足りない者でしたのに、あなたは、このしもべの家について、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ。あなたは私を、高い者として見ておられます」(歴代誌Ⅰ17:17)

イエスの十字架上の苦しみ。両手を釘さされ、胆をやりでえぐられ、信仰の原点はこのイエスに関する思いから始まると思った。その苦しい死に方も、私のような罪にまみれ、罰を受けて当然の者のためであったと知ると、時々、何ともったいないことをと思わずにおられぬ。私は今度のがん宣告と手術をもって、この簡単であるが、何か他人事のように聞こえるメッセージが非常にスンナリと分からせてもらった。女性はみなお産という大仕事を経験するので、教理を胆で受けとめるのだろう。病は何故起こったか私には分からない。罪の結果かもしれないし、そうでないかもしれない。今私にできることは、神と私の仲介主イエス・キリストに私の罪を清めていただき、「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください」と祈るしかない。罪の赦しは、イエス・キリストに頼る以外に方法はない。

クリスチャンは、人をつまずかせなければ何をしても良いと言う人がいるが、「イエス・キリストの愛の結果である十字架上の無価値な私たちのための死」に打たれて私がクリスチャンになったのなら、神の嫌がることなど行いたくないのが当然である。神は愛の神であるとともに、義の神でもある。

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米田武義

米田武義(よねだ・たけよし)

1941年4月16日、大阪生まれ。大阪府立三国丘高等学校、国立静岡大学卒業。静岡県立清水東高校定時制教師を勤めた後、東北大学大学院、京都大学大学院(国土防災技術(株)国内留学生)で学ぶ。国土防災技術(株)を退職し、(株)米田製作所を継承する。2008年4月8日、天に召される。著書に『死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―』(イーグレープ)。

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