【科学の本質を探る㉚】常識的な科学観を覆したパラダイム論(その1)科学を相対化する視点を与えた科学論 阿部正紀

2016年2月22日15時00分 コラムニスト : 阿部正紀 印刷
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前回は、1940年代に歴史学者バターフィールドが、中世暗黒説を覆すとともに、科学が17世紀に大きな変革を遂げて近代科学が成立した出来事を科学革命と呼び、これが現在、広く受け入れられていることをお話ししました。

今回は、1960年代に科学史家トーマス・クーンがパラダイム論を提唱して、科学を絶対視する常識的な科学観を打破し、科学を相対化する視点を与えたことを明らかにします。

【今回のワンポイントメッセージ】

  • 科学は、客観的な観測データと論理のみに基づいて絶対的な真理を目指して一歩ずつ連続的に進歩してきたと考える常識的な見解が、パラダイム論によって打破された。

パラダイム転換とは?

「固定電話から携帯電話へのパラダイムシフト」といえば、世の中を支配していた従来の固定電話が携帯電話に急激に大きくシフト(転換)したことを意味します。

パラダイムとは、ある時代にその分野で支配的な「ものの見方や捉え方」を指します。パラダイムが急激に置き換わるのがパラダイムシフトであり、パラダイム転換ともいいます。

パラダイムは、もともとは科学史家クーンが導入した専門用語でした。クーンによれば、パラダイムとは、ある時代に科学の世界を支配している主要な理論(天動説、地動説、ニュートン力学、相対性理論など)とその枠組みを示します。それは、科学者の専門家集団で受け入れられている信念体系で、一つの主要な理論とそれを支えている世界観や、それに基づいて研究課題や研究方法を決めるガイドラインなどを含みます。

一つのパラダイムが新たなパラダイムで置き換えられ、世界観が変わるような大きな変革がパラダイム転換です。クーンは、科学全体に起きたバターフィールドの科学革命(前回)の概念を拡大し、個々の主要な理論も世界観が変わるような大きな変革によって生み出されたと論じ、これをパラダイム転換と呼んだのです(図1)。

打破された「常識的な科学観」

一般に、「科学は、観測データがたくさん集められ、合理的な考察によって理論が作られることによって、少しずつ連続的に進歩してきた」と考えられています。

クーンは、このような常識的な科学観を打ち破り、世界観が変わってしまうパラダイム転換によって不連続的に進歩してきたと唱えたのです。さらにクーンは、パラダイム転換では、観測データよりも、科学者が抱く世界観が重要な役割を果たしていると論じました。

例えば、天動説から地動説へのパラダイム転換を起こしたコペルニクスは、ほとんど観測を行っていません。従来の観測データを新たな世界観、すなわち神秘主義思想の「太陽礼賛」思想、および古代ギリシャ思想の「一様な円運動」主義で捉え直して地動説モデルを作ったのです(第17回)。

覆された「一般的な科学者像」

多くの人々は、「科学者は、従来の理論や偏見など一切の予断を排して、公平で中立な視点から自然を探究する」と考えています。

物理学の研究に従事した経験があるクーンは、このような通俗的な見解に異を唱えました。現実の科学者は、通常はパラダイムの前提にとらわれ、パラダイムの枠内に収まる答えをパズルのように探し求めると指摘したのです。クーンはこのような研究活動を「通常科学」と呼び、さらに次のように論じました。

「通常科学」では、パラダイムの枠の中でのみ研究が行われ、枠組みが正しいか否かを探求しない。パラダイムに疑いを挟まないで科学者がひたすら直面する問題に立ち向かう。そのおかげで科学がすごいスピードでパラダイムの枠内で進歩する。

反証されても理論(パラダイム)は倒れない

ここで、パラダイムの枠に収まらない事柄、つまり既存の理論を反証するような事例が見つかったとします。常識的に考えれば、パラダイムの正しさが疑われ、理論が倒れるはずです。ところが実際には、反証事例が放置されるか、または理論が手直しされてパラダイムが生き延びる、とクーンは説きました。

例えば、“地動説パラダイム”では、コペルニクス(第17回)が16世紀に地動説を唱えた最初から、いわゆる「恒星の年周視差」*が観測されないことによって反証されていました。そして約300年後の1838年に年周視差が観測されました――地動説の反証は300年間も「放置」されたのです。[*地球が公転しているために地球から見た恒星の方向が一年を周期として変化する現象]

パラダイム転換が起きるとき

ところが、反証事例が多くなり、深刻化すると、パラダイムの前提を疑う人々が現れます。彼らは、従来の枠組みを超え、新しい世界観の枠組みから自然を眺めて、反証事例をうまく説明できる新しい理論を探索します。その結果、首尾よく反証事例を解明する新理論が作られ、そして多くの人々がそれを受け入れることによってパラダイム転換が起きる、とクーンは唱えました。

ただし、新しい理論についていけない人々は、古いパラダイムにとどまり続けるので、そのような人々が死に絶えたときにパラダイム転換が完成すると、クーンは論じました。

科学を相対化する視点を与えたパラダイム論

クーンのパラダイム論によって、科学は客観的な観測データが集められ、合理的な考察を加えることによって一歩一歩連続的に進歩してきたと考える常識的な見解が覆されました。

その結果、「科学は世界観やイデオロギーなどの主観的、人為的な要素に依存しないので他の学問分野よりも格別に信頼できる」と見なす通俗的な見解が打破されました。そして、「科学は絶対的に正しい真理を目指し少しずつ確実に進歩してきた」と科学を絶対視する見解が退けられ、科学を人間の営みとして相対化する視点が与えられたのです。

科学を相対化する視点を与えたパラダイム論によって、「自然科学だけが経験(観測、実験)と論理に基づいて客観的で確実な学問体系を作っている」という見解が覆されました。それ故、パラダイム論は、自然科学以外のあらゆる学問分野にも大きな衝撃を与えて広がりました。

パラダイム論はさらに拡大解釈されて、一般社会にも流行しました。政治、経済、技術、社会からファッションなどの分野でも「支配的なものの見方」が変わる現象をパラダイム転換と言うようになったのです。

【まとめ】

  • クーンによれば、パラダイムとは、ある時代に科学者の集団を支配している主要な理論(地動説、ニュートン力学、相対性理論など)の枠組み(信念体系)を指し、科学者は通常はその枠組みの中で研究する。
  • クーンは、世界観の変革を伴うパラダイム転換によって、科学は不連続的に進歩してきたと主張した。
  • パラダイム論によって、「科学は人為的要素とは無関係に、絶対的な真理を目指して進歩してきた」と科学を絶対視する見解が退けられ、科学を相対化する視点が与えられた。

【次回】

  • パラダイム論が厳しく批判され、クーンは科学を人間の心理学的な働きに還元する非合理主義者であると非難されましたが、これは見当はずれで、彼は科学を絶対視する見解に反対したにすぎないことを示します。

阿部正紀

阿部正紀(あべ・まさのり)

東京工業大学名誉教授。東工大物理学科卒、東工大博士課程電子工学専攻終了(工学博士)。東工大大学院電子物理工学専攻教授を経て現職。著書に『基礎電子物性工学―量子力学の基本と応用』(コロナ社)、『電子物性概論―量子論の基礎』(培風館)、『はじめて学ぶ量子化学』(培風館)など。

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■ 科学の本質を探る

アインシュタインは“スピノザの神”の信奉者
②-④ 量子力学をめぐる世界観の対立 (その1) (その2) (その3)
⑤-⑨ インフレーション・ビッグバン宇宙論の謎 (その1) (その2) (その3) (その4) (その5)
⑩-⑬ ニュートン力学からカオス理論へ (その1) (その2) (その3) (その4)
⑭-⑯ 複雑系における秩序形成と生命現象 (その1) (その2) (その3)
コペルニクスの実像―地動説は失敗作
ケプラーの実像―神秘主義思想と近代科学の精神が共存
⑲-㉒ ガリレイの実像 (その1)(その2)(その3)(その4)
㉓-㉔ 近代科学の基本理念に到達した古代の神学者 (その1)(その2)
㉕-㉗ 中世スコラ学者による近代科学への貢献 (その1)(その2)(その3)
中世暗黒説を生み出したフランシス・ベーコンの科学観とその崩壊
中世暗黒説の崩壊と科学革命の提起
㉚-㉛ 常識的な科学観を覆したパラダイム論 (その1)(その2)
㉜-㉟ 脳科学の未解決問題 (その1)(その2)(その3)(その4)
㊱-㊶ 生物進化論の未解決問題 (その1)(その2)(その3)(その4)(その5)(その6)
科学の本質と限界

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