雲海のかなたに(1) 高橋幸夫

2014年8月30日20時52分 コラムニスト : 高橋幸夫 印刷
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一.雲海のかなたに

冬の凍てつく夜空に、星の光と見紛うばかりの小さなライトを点滅させながら、夜行便のジェット機が、果てしない暗闇の中に消えていく。そのかすかな光跡をただぼんやりと眺めていると、25年前の懐かしい記憶が私の脳裏に蘇ってきた。

2月とは言え、赤道直下に位置するシンガポールは常夏だ。この地特有のスコールが去った後の夜はまさに蒸し風呂のようで、すこぶる寝苦しい。時計の針は既に11時を回っていた。明日は恒例のゴルフコンペだ。

私は、グラスの底にわずかに残ったブランデーの水割りを一気に飲み干した。白い天井でゆっくりと回転する大きなファンにじっと目をやりながらいつものように眠りについた。

まだまどろみの中にいたとき、突然、電話のベルがけたたましく鳴り響いた。ふと、何か不吉な予感が私を襲った。急いで受話器を取った妻の様子がいつもと少し違う。「ハイ、ハイ、ハイ・・・」と、返事を繰り返す妻の声が、押し殺すように重く沈んでいるのだ。

「あなた、日本のお母さんから電話です・・・」妻は、ただそれだけを言って私に受話器を手渡した。私の不安は一層募った。

「もしもし、母さん、僕だ。こんなに遅い時間にどうしたんだい?」

「ああ、幸夫。あのね、お婆ちゃんが死んだの、さっき・・・」

「えっ、ホント?」

私の不吉な予感が的中してしまった。私は、一瞬、愕然(がくぜん)として、受話器を持つ手が震えて止まらず、言葉が次いで出てこなかった。

それは、家で寝たきりの認知症の祖母が、94歳で亡くなったという悲しい知らせであった。だがなぜか、電話の向こうから話しかけてくる母の声には、実の母が亡くなったという悲しみが少しも感じ取れない。

声を詰まらせている私に、「幸夫、そんなに悲しむことなんかないんだよ・・・。お婆ちゃんはね、大往生なんだから・・・。もう、十分に生きたんだからね!」と、母はまるで自分に言い聞かせるかのようにゆっくりと話した。傍らで心配そうに聞き入る妻の目からぼうだの涙がこぼれていた。

肉親の死に目に会えないのが海外駐在員の宿命だ、と聞いてはいたが、まさか現実のことになるとは夢にも思わなかった。

だが、問題はそれにとどまらなかった。急いで帰国し、せめて亡骸に別れをしたいと思い立ったのだが、母の口から葬儀の日取りを聞いた途端、私は当惑してしまった。

明日が通夜、明後日が告別式だと言う。逆算すると、明日の深夜便に乗らねば告別式には到底間に合わない。時間がわずかしかない。一方で、出発までにすべきことは多い。しかも、悪いことに明日は土曜日でシンガポールの会社おしなべて休みだ。

普段頼りにしている秘書のジョアンナがいなければ、航空券の手配はおぼつかない。どうしたものか、と途方に暮れてしまった。

しかし、私は気を取り直して、翌朝、取りあえずジョアンナに電話をすることにした。

彼女は事情をよく理解し、協力を惜しまないと言ってくれた。私はほっと胸を撫(な)で下ろした。

数時間後、ジョアンナからN航空の夜行便のファーストクラスに空席があったので取りあえず1シート確保した、との嬉しい連絡が入った。

さて、私がほっとしたのも束の間、肝心のパスポートが手元にないことに気がづいたのだ。一生懸命に記憶をたどってみるのだがパスポートの在りかが、一向に思い出せない。

常夏のシンガポールの日中の気温は30度を超す。私の焦りは頂点に達し、額から汗がしたたり落ちてきた。もしや、と再びジョアンナに電話をすると、思いもかけない答えが返ってきた。

パスポートはインドネシア大使館にあるというのだ。私はすっかり忘れていた。翌週のインドネシア出張に備えて、パスポートをビザ申請のために、大使館に提出していたのであった。インドネシア大使館は、土曜は休館だ。一瞬、私の頭からさーっと血が引いていった。

パスポートがなくては、帰国できないではないか。万事休すだ。

どうしても諦めきれない私は、「ジョアンナ、頼む、なんとかならないだろうか? 私は、祖母に会いたい! お願いだ!」「ミスター、タカハシ・・・。分かりました。なんとかしてみましょう」という心強い返事に、私は思わず電話の向こうの姿の見えない彼女に向かって心の中で手を合わせていた。

電話を切った私は、一刻千金の思いで旅支度を調え始めた。が、その時、再び予期せぬ新たな問題に直面することになった。

常夏のシンガポールでは、冬服は無用の長物だ。私は、真冬の日本で着る服を持っていなかったのである。泣きっ面に蜂とは、まさにこのことだとつくづく思った。

急ぎ、デパートに車を走らせて事なきを得たのだが、パスポートの知らせを待つ間、私は、まさに薄氷を踏む思いであった。しかし、私の思いとは裏腹に、時間は無情にも過ぎていった。

祈るような気持ちで時計にじっと目をやっていると、電話が鳴った。ジョアンナであった。

パスポートは無事に戻って手元にあるのでもう心配はない、という知らせであった。私は胸を撫で下ろし、彼女の協力に感謝した。

その夜、私は漸(ようや)く機上の人となった。生まれて初めて座るファーストクラスのシートに身を深く沈めながら、慌ただしかった一日の出来事に思いを巡らせていた。

疲れている体にウイスキーの水割りは利いた。瞬く間に、夢心地になった私の脳裏には、亡くなった祖母の在りし日の面影が走馬燈のように浮かんできた。

祖母は、城県の石巻の出身で、非常に気丈夫な人であった。よく私たち孫を東北弁で叱りとばしていたものだ。とは言え、私には滅法優しい人で、猫かわいがりをしてくれた。私は、いわゆるお婆ちゃん子だったのである。

祖母が漬けてくれたお新香は格別に旨かった。皺(しわ)だらけの小さな手で壺のような瓶(かめ)に糠床(ぬかどこ)を作り、毎日、糠味噌付けの仕込みに余念がなかった。毎朝、毎晩、一夜漬けや古漬けのキュウリ、ナスが、とっかえひっかえ、卓袱台(ちゃぶだい)の上に盛られた。

また、祖母は私の顔を見ると、「幸夫、肩が凝って仕方がないよー。辛くて辛くて、はー!」と嘆いていたものである。私は、その度に祖母のやせた背中に回って小さな肩を叩いたり揉んだりした。

「もう良いよ。んだども、幸夫は肩もみが上手だな。ああ、気持ちが良いよ・・・」と言われるまで、指が疲れるのも忘れて夢中になってたたき、もみほぐした。祖母の喜ぶ顔を見るのが私には何よりも嬉しかった。

私が結婚して初めての子どもが妻に宿ったころ、私の両親が、葛飾柴又の老舗の料亭で祖母の米寿の祝いをした。その時、祖母は小さな体を赤いちゃんちゃんこに身を包みながら、大勢の孫や子どもに囲まれてニコニコと、こぼれんばかりの笑みを浮かべていた。

そんな元気な祖母も数年後には、認知症が始まり、記憶にかげりが見えてきた。肉親の顔すらはっきりと認知できないということは、寂しく悲しいことだった。

私が、シンガポールに出発する前夜、「お婆ちゃん、幸夫だ。行ってくるからね・・・」「幸夫? 幸夫かい・・・」と、じーっと私の顔を見つめながら、不思議そうな表情を見せていた。あの時、祖母は私のことが分かっていたのであろうか――。

私は、定まらぬ視線をジェット気流に運ばれて行く果てしのない雲海に向けながら、祖母の思い出に浸っていた。

やがて、機内に朝食のサービスが始まるころ、窓外に広がる雲海の遙(はる)かかなたの水平線から、真紅の朝日がゆっくりと昇ってきた。

その朝日は実に神々しく神秘的であった。

朝日が雲海のかなたに浮かび上がったとき、ジェット機は着陸態勢に入り、機首を下げて機体は厚い雲海の中に突入していった。着陸は空の旅では最も緊張する瞬間だ。

6時間半に及ぶ夜間飛行は、あっという間に終わりを迎え、朝日に輝く銀色の機体は寒風吹きすさぶ成田空港に着陸した。

空港のロビーで飛び交う日本語を耳にしたとき、紛れもなくここは祖母の亡骸が私を待っている祖国日本だ、と実感したのである。

オーバーコートの襟を立てながら足早にタクシーに飛び乗った瞬間、メガネのレンズが真っ白に曇った――。

一時間後、私はまだ朝靄(あさもや)の煙る懐かしいわが家の前に立っていた。そこには、玄関に飾られた花輪の前で呆然と佇(たたず)む私が居たのだ。

母と言葉を交わしたとき、私は、悲しい現実の世界に無理矢理引き戻されていた。

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高橋幸夫(たかはし・ゆきお)

1947年、東京生まれ。68年、東京都立航空工業高等専門学校機械工学科卒。同年小松製作所入社、海外事業本部配属。78~83年、現地法人小松シンガポールに出向駐在、販売促進業務全般に従事。この間、アセアン諸国、ミャンマー等に70回以上出張する。88~93年、本社広報宣伝部宣伝課長として国内外の広告宣伝業務全般及び70周年記念のCIプロジェクト事業の事務局として事業企画の立案・推進実行に従事。欧米出張多数。93年、コマツのグループ子会社に出向。98年、早期定年退職制度に従い退職。2006年、柏市臨時職員、柏市介護予防センター「ほのぼのプラザますお」のボランテイアコーデイネータ。07年、天に召される。

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