雲海のかなたに(8)団塊のかけら 高橋幸夫

2014年11月25日06時59分 コラムニスト : 高橋幸夫 印刷
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「感謝しなさいよ。幸夫。博子さんだから耐えられたんだからね。えらいよ、本当に!」

最近、母が私に決まって言う台詞(せりふ)だ。この一言で、私には、長い間封印しておいた筆舌に尽くし難い記憶が蘇(よみがえ)ってくる。

事の発端は、9年前。私は、社内で「営業成績が悪い管理職」というレッテルを貼られ、それを口実にして、団塊世代の一人として30年あまり勤めた会社から、突然、退職勧告を突きつけられた。

一瞬、私は、その事が信じられず愕然とした。まさに青天の霹靂(へきれき)であった。

「えっ、何故、私が? 家族も顧みず、滅私奉公(めっしぼうこう)も厭(いと)わず、会社のために一生懸命に働いてきた私が・・・」という憤りと、無念の思いで一杯であった。

やがて私は、茫然自失になり、挙げ句の果ては、自宅で引きこもりの生活を始めてしまった。

もしも、働き盛りの大黒柱である夫が、5年もの間何もせずに家に引きこもっていたら、並の妻ならその不甲斐(ふがい)なさに耐えかねて、家を出てしまったであろう。さしずめ行き着く先は、「熟年離婚」というのが落ちであろうか。

だが、私の妻は、そんな道を選ばずに、長い間堪え忍び、私を温かく見守りながら励ましてくれたのだ。

不況の最中、再就職もままならず、自暴自棄(じぼうじき)に陥り、焦りと不安から逃れようとして、次第に酒におぼれていった。

ある日、「ドボドボドボーッ」という聞き慣れない音に驚いて台所に立つと、妻が、ウイスキーのビンの中身を一滴残らずに棄ててしまった。妻に内緒で部屋に隠し、愛飲していたスコッチウイスキーだ。勿体ない。が、後の祭りだった。

また、ある時は、私がトイレに立った隙にいきなり私の締め切っていた部屋の窓を開け放ち、さっさとカビ臭い万年床の布団を干してしまった。と言うような強引な行動に出ることも一度や二度ではなかった。

私は、自分自身がつくづく情けないと思う一方で、本気で怒る妻の険しい顔を正視できなかった。

結婚して25年、堪忍袋の緒が切れた妻の姿など目にしたことがないのだから、私は、内心穏やかでは居られなかった。

一方、すでに成人していた3人の子どもたちは、私の茫然自失の様を見ながら、妻の前では不安を隠さずには居られなかったのだ。私は、しばしば彼らの涙する姿を垣間見た。

しかし、妻は、何時も彼らに向かって、「お父さんはね、長い間一生懸命に働いてきたのだから、今は、休むときが与えられているの。だから、そっと見守っていてあげようね・・・」と言って、子どもたちを励ましていたことを昨日のことのように思い出す。

妻は、何時も私たち家族のことを、愛をもって真剣に祈ってくれたのだ。そんな妻の私への気配りは、並大抵ではなかった。

人生は、「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」と言うように、私たち家族にもそれまで、楽しい思い出が沢山あった。とりわけ20年前にシンガポールで暮らした5年間の様々な体験は、何かにつけ家族の間で話題に上ったものである。しかし妻は、長い引きこもりという暗いトンネルから抜け出せない私を慮(おもんばか)って、その楽しい思い出の話をタブーとして、極力その話題を避けてくれたのだ。

だが、一昨年の夏、そんな私の背中を押す出来事が起きた。それは、我が家の転居であった。生活環境が一変したのである。緑豊かな林、のどかな田園風景、湖畔に憩う野鳥の群れ。四季折々に移り変わる風景に心を奪われ、感動する私がそこに居た。

やがて、私のふさぐ心は癒やされ、生気がみなぎってきたのである。以前の私、に戻るのにさしたる時間を必要としなかった。久しく遠ざけていた趣味に心を向け始めた。テニス、音楽、薔薇の手入れなどに没頭する毎日が再び私に訪れたのだ。

耐え難い試練の中にあって、私は、忍耐することを知り、妻と家族の支えによって希望を見出すことが出来た。長い間、封印しておいた辛い思いの日々を、人生の道草として、微笑みながら語り合える家族が、今、ここに居る。

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高橋幸夫(たかはし・ゆきお)

1947年、東京生まれ。68年、東京都立航空工業高等専門学校機械工学科卒。同年小松製作所入社、海外事業本部配属。78~83年、現地法人小松シンガポールに出向駐在、販売促進業務全般に従事。この間、アセアン諸国、ミャンマー等に70回以上出張する。88~93年、本社広報宣伝部宣伝課長として国内外の広告宣伝業務全般及び70周年記念のCIプロジェクト事業の事務局として事業企画の立案・推進実行に従事。欧米出張多数。93年、コマツのグループ子会社に出向。98年、早期定年退職制度に従い退職。2006年、柏市臨時職員、柏市介護予防センター「ほのぼのプラザますお」のボランテイアコーデイネータ。07年、天に召される。

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