雲海のかなたに(6)自然児のように 高橋幸夫

2014年10月28日06時49分 コラムニスト : 高橋幸夫 印刷
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+高橋幸夫氏

あれは確か、23年前の正月。門松がとれた頃だった。

「おーい、お風呂のお湯がないぞー!」

入浴しようとした父が震えるような声で怒鳴っていた。何事か、と妻が様子を見に風呂場に飛んで行った。

「えーっ、どうしたんですか?」

「いやあー、お風呂の栓が抜けていてお湯が全然無いんだよ!」

「あらー、ケンちゃんだわ。何てことを・・・。 お父さん、もー、すみません、本当に!」

習慣の違いというものは恐ろしいものだ。これは、私たち家族が、常夏のシンガポールールでの5年に及ぶ生活を終えて、真冬の日本に帰国した直後の出来事である。気候、風土のまったく異なる生活環境で育った我が子の奇行。それを父に理解してもらうには、多少の時間が必要であった。ことほど左様に、帰国直後、我が家で子どもたちが引き起こした珍事件には、枚挙にいとまがなかった。

帰国当日、私たちが実家に帰ってきた日のことだ。父母が大騒ぎであった。

「おい、こらこら、幸太郎、靴を履いたままで家に上がっちゃダメ! ダメだよ!」

「幸ちゃん、お爺ちゃんの言う通りに靴を脱いで頂戴、ねっ、お願い!」

だが、叱られた当の本人は、何が何だかさっぱり分からない。キョトンとして、一向に靴を脱ごうとしないのだ。私たち夫婦も、我が子の突然の行動に戸惑い、一瞬、開いた口がふさがらなかった。

また、雪の降りしきる凍てつく朝には、

「お婆ちゃん、顔が痛いよー!」

「どうしたの、ゆりちゃん?」

無理もない。長女は、物心ついてから寒さを経験したことが無く、「寒い」という言葉を知らなかったのである。幼児期に体験した冬の寒さをすっかり忘れていた。

こんなカルチャーショックを抱えながら、3人の子どもたちのちょっと奇妙だが、笑うに笑えない帰国子女としての生活が始まったのだ。

今を去る29年前の10月、妻が、長男長女を両手に引き、次男を背中におんぶしながらシンガポール国際空港に降り立った。妻のその疲れ切った表情から、機内での長旅の苦労の様子が見て取れた。

私は、単身で家族を待つ間に、子どもたちには土に親しむ必要があろうと、庭付きのテラスハウスを借り上げていた。

シンガポールは人種のるつぼと言われるほどに、多人種が入り混じって生活する国だ。その中にあって子どもたちは、それぞれ小学校やプレイスクール(幼稚園)で、なんの分け隔てもなく伸び伸びと過ごしていた。

家庭での子育ての苦労というものは、妻が一手に背負い込んでいた。

子どもたちは、庭に大きな穴を掘って、

「うわーい、ブルドーザーだあー!」

と言って、全身泥んこになって遊んだり、近くの公園の池でグッピー捕りに夢中になるあまり、池にはまって、さあ、たいへんだったりで、まるで自然児のようだった。

子どもたちはそんな生活を通して、いつしか、東南アジア特有の開放的な空気を思う存分に肌で吸収していった。

帰国後間もなく、長男と長女は小学校へ、次男は幼稚園に転入した。幼児期に自由奔放な生活環境で体得した習慣というものは、一朝一夕に異文化社会になじむものではない。当時、日本は高度経済成長の最中、国際化が緒についたばかりで、学校や地域社会における帰国子女の受け入れ態勢は、今日ほど十分とは言えなかった。

子どもたちが異国で身に着けた自由奔放さが、祖国日本で容易に受け入れられないなどとは、予想だにしなかった。同時に、私たち夫婦も子どもたちを通して、日本という国が持つ閉鎖性の一端を垣間見たのである。

しばらくして、子どもたちがとうとう、

「ママー、シンガポールに帰りたいよー!」

「パパー、もう日本はいやだよー、向こうに帰りたいよー!」

と言いだしたのだ。

さもありなん。当時の日本は、金太郎飴(あめ)のような画一性を重視するあまり、子どもたちの個性を引き出したり、伸ばしたりしようとする風潮・教育風土があまりなかったのではないか、と今にして思う。

異文化と、すべてが新しい日本の生活環境のはざまで、幼い心の葛藤を余儀なくされた子どもたち。親として、どうすることも出来ず妻と2人で心を痛めたものである。3人の子どもたちは、幼い頃の様々な思い出を胸に秘めながら、紆余曲折と一言で言い切れないような苦労を経て、たくましく成長した。

折に触れて、常夏のシンガポールや帰国直後の懐かしい思い出が私の脳裏を過(よ)ぎるのである。

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高橋幸夫(たかはし・ゆきお)

1947年、東京生まれ。68年、東京都立航空工業高等専門学校機械工学科卒。同年小松製作所入社、海外事業本部配属。78~83年、現地法人小松シンガポールに出向駐在、販売促進業務全般に従事。この間、アセアン諸国、ミャンマー等に70回以上出張する。88~93年、本社広報宣伝部宣伝課長として国内外の広告宣伝業務全般及び70周年記念のCIプロジェクト事業の事務局として事業企画の立案・推進実行に従事。欧米出張多数。93年、コマツのグループ子会社に出向。98年、早期定年退職制度に従い退職。2006年、柏市臨時職員、柏市介護予防センター「ほのぼのプラザますお」のボランテイアコーデイネータ。07年、天に召される。

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