こころと魂の健康(21)怒り 渡辺俊彦

2015年6月1日21時54分 コラムニスト : 渡辺俊彦 印刷
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昨今、メディアから流れるニュースは虐待、殺人、暴行など心が痛む内容が少なくありません。これらの背後にあるのは人間の「怒り」の感情です。この怒りについて考えてみましょう。私たちは、喜怒哀楽という4つの感情を持っています。その中で一番強く不快な感情が怒りです。私たちは、不当な扱いや誤解などによって怒られてしまうことがあります。このような経験は、私たちの内側に怒りを生じさせます。その怒りを適切に処理しないと、怒りを蓄積し大きく育ててしまうことになってしまいます。私たちは、怒りを適切に処理するために相手が冷静になった時、「なぜ、怒鳴られているのか分からないため、怒鳴らず冷静に話してください。私はとても不愉快でした」と伝えることができたら良いのではないでしょうか。そのことによって、不当な扱いを止めることが可能になります。

私たちは子どものころ、自由に喜怒哀楽を表現しのびのびと過ごしていました。ところが、自然な感情を表すと養育者はしつけと称して関わります。どんな関わり方でしょうか。養育者は子どもに対して「イヤだ、イヤだといつまで言っているの、わがままはいけません」「いつまで泣いているの、情けない子ね」「いつまで怖がっているの、男の子でしょう」などの言葉を使いながら関わります。このような関わりをする養育者の表情、口調、態度を子どもは学習しています。つまり、子どもは養育者の言動を想像以上に強いメッセージとして受け止めてしまうのです。その結果、養育者から愛されるために感情を出してはいけないものとしてしまいます。そして、感情を出したら養育者から嫌われてしまう。だから、「怒ってはいけない」「悲しんではいけない」「喜んではいけない」「楽しんではいけない」と素直に感情を表さなくなってしまうのです。これを幼児期の決断といいます。これが、「~をしてはいけない」という禁止令になって無意識ですが人生に大きな影響を与えることとなってしまうのです。

特に、「怒り」の感情を蓄積し、コントロールの限界を越えると爆発してしまいます。この怒りは2つの方向へと向かいます。2つの方向とは内側と外側です。怒りが内側に向かい最悪な状態になると自死となります。ひとつの例としてはうつです。うつの背後には怒りがあるとされています。外側に向かい最悪な状態になると殺人です。このように、怒りが最悪の状態に至った場合、自分の生命を奪うか、他者の生命を奪うかになるわけです。

最悪の状態に至らなくても怒りを適切に処理することができず長期化してしまうと、恨み、不安、自己嫌悪、罪責感などの不快な感情となってしまいます。それだけ人間は過去に支配されている存在ということです。大切なことは、怒りを適切に処理することです。怒りを適切に処理することは、「今を生きる」力となります。

こうして見ると、怒りは悪いものに感じてしまいます。しかし、そうではありません。私たちが不正に対して怒ることは適切な態度です。パウロも「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままではいけません」(エペソ4:26)と語ります。怒りそのものが悪いのではありません。パウロは、怒りが罪を生んでしまうので気を付けなさいと注意しています。モーセは怒りに対して次のように対処しました。

モーセは、出エジプトした同胞たちを牧会しました。出エジプトし荒野の生活を始めた民たちは、毎日マナを食べることに飽きてしまいました。彼らは、「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ」(民数記11:4~6)と激しく不平を言ったのです。この言葉と態度に対して「主の怒りは激しく燃え上がり、モーセも腹立たしく思った」(民数記11:10)とあります。モーセは、怒りの感情が高くなりました。モーセは彼らの言動に触れながら、牧会する気力を失いかけていたのです。この時、モーセは怒りをどのように処理したでしょうか。以下の御言葉を聞いてください。

「モーセは主に申し上げた。『なぜ、あなたはしもべを苦しめられるのでしょう。なぜ、私はあなたのご厚意をいただけないのでしょう。なぜ、このすべての民の重荷を私に負わされるのでしょう。私がこのすべての民をはらんだのでしょうか。それとも、私が彼らを生んだのでしょうか。それなのになぜ、あなたは私に、『うばが乳飲み子を抱きかかえるように、彼らをあなたの胸に抱き、わたしが彼らの先祖たちに誓った地に連れて行け』と言われるのでしょう。どこから私は肉を得て、この民全体に与えなければならないのでしょうか。彼らは私に泣き叫び、『私たちに肉を与えて食べさせてくれ』と言うのです。私だけでは、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。私にこんなしうちをなさるのなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を苦しみに会わせないでください』」(民数記11:11~15)

これは、モーセの祈りの言葉です。モーセは、怒りを神様に訴えたのです。この方法は一番適切な方法です。誰も傷つけることがないからです。私たちは、自分の内に生じた怒りをどのように処理するでしょうか。適切に処理したいものです。

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渡辺俊彦

渡辺俊彦(わたなべ・としひこ)

1957年生まれ。多摩少年院に4年間法務教官として勤務した後、召しを受け東京聖書学院に入学。東京聖書学院卒業後、日本ホーリネス教団より上馬キリスト教会に派遣。ルーサーライス神学大学大学院博士課程終了(D.Mim)。ルーサーライス神学大学大学院、日本医科大学看護専門学校、千葉英和高等学校などの講師を歴任。現在、上馬キリスト教会牧師、東京YMCA医療福祉専門学校講師、社会福祉法人東京育成園(養護施設)園長、NPO日本グッド・マリッジ推進協会結婚及び家族カウンセリング専門スーパーバイザー、牧会カウンセラー(LPC認定)。WHOのスピリチュアル問題に関し、各地で講演やセミナー講師として活動。主な著書に『神学生活入門』『幸せを見つける人』(イーグレープ)、『スピリチュアリティの混乱を探る』(発行:上馬キリスト教会出版部、定価:1500円)。ほか論文、小論文多数。

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