1. 超大国の衰退と没落
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、ひとえに風の前のちりに同じ。
鎌倉時代に成立したとされる、平家の栄華と没落、武士階級の台頭などが描かれた平家物語の、冒頭の文である。
聖書にも「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる」(ヤコブ4:6)、「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」(箴言16:18)、「高ぶりが来れば、恥もまた来る。知恵はへりくだる者とともにある」(箴言11:2)などと書かれている。
貧富のない理想的な共産主義国家を目指したロシア連邦(旧ソビエト社会主義共和国連邦)、理想を掲げて成立した中華ソビエト共和国から始まった中華人民共和国、純粋な信仰の自由を求めて建国したアメリカ合衆国が、それぞれ超大国として発展した今、そろって急速に衰退と没落に向かっているように思われる。
これら超大国に共通していえることは、国家や民族が強大な権力(政治力、軍事力)と豊かな繁栄(経済力)を築いたことから、権力と富の支配権を握った特権階級が、その上にあぐらをかいて次第に高ぶり、他国や他民族を軽蔑し、高慢によるどう喝と力による報復をもってこれを支配し、搾取しようとすることである。しかし、明らかにそれは神の御心に反し、やがては国家や民族そのものが衰退し、没落する運命をたどっていく。
2. 初めの愛に戻ろう
それは国家や民族だけでなく、組織(例えば、団体、教会、家族)や個人の関係においても当てはまる。お互いに愛をもって仕え合う関係からスタートしても、時間がたつにつれ、愛が薄れて、一方か双方のうちに高ぶりが生じ、友好関係が崩れ、夫婦関係が破綻し、ビジネス関係が紛糾し、教会やクリスチャン同士の関係にも争いが生じていく。まさに、室町時代の能楽師・世阿弥の言葉、「初心忘るべからず」である。
あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。(黙示録2:3〜5)
これはエペソの教会に対するイエスの言葉である。燭台とは教会(愛のエクレシア)を意味し、世の人々にキリストの光を輝かせて照らす存在である。それは神の臨在(内住)によるあふれる命(愛)を意味するのだと思う。
神のために熱心に仕え、耐え忍んで犠牲を払っても、それだけでは、神の目には不十分である。全ての働きの動機がいつも愛でなければ、結局一切は無益なのである。愛がなければ、その燭台は取り除かれてしまう。
「たといわたしが・・・山を移すほどの強い信仰があっても、・・・自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である」(1コリント13:1~3)。だから、私たちにはいつも初めの愛に立ち帰って神の愛を実践することが求められている。
「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。愛を追い求めなさい」(1コリント13:13、14:1)と聖書に明言されているが、敵を愛し、迫害する者のために祈るほどの神の愛を実行することは、肉なる自分にとっては到底不可能である。聖霊に満たされ続けることによってのみ、初めてそれが可能になるのだと思う。
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