イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。…イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは「そうです。主よ」と言った。そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。すると、彼らの目があいた。(マタイの福音書9章27~30節)
マタイの福音書9章の物語では、2人の盲人が、イエス様が来たことを聞き、イエス様に向かって叫び続けました。そして、彼らの声がイエス様に届き、2人はイエス様の前に出て、どうか目が見えるようにしてくださいと願いました。
この箇所で絶対に見逃してはならないのが「わたしにそんなことができると信じるのか」というイエス様の言葉です。ここで私たちも、どんなスケール感でイエス様を認めているかを問われているのです。
1. イエス様はどれくらいの大きさか!
あなたの信じているイエス様は、どんなイエス様ですか。単なる知識で教科書の中にはまり込む小さなイエス様になり果てていませんか。等身大のイエス様と向き合いたいのです。
そのイエス様に「わたしにそんなことができると信じるのか」と問われ、2人はもちろんですと答えました。するとイエス様は「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われ、2人は癒やされました。
私のためにあらゆる病を癒やし、どんな悪霊の力も解放し、私の罪や汚れを全部身代わりに背負い、私が罪を裁かれて死ぬ代わりに、十字架で身代わりの死を遂げられた贖(あがな)い主。そして3日目に死の力さえ打ち破ってよみがえられ、その救いを現し、永遠の命の約束まで与えられたイエス様を、その通り信じていると言える信仰者でありたいのです。
2. 具体的に自分の必要を訴える!
イエス様が自分にとって、どれぐらいの影響力を持つお方であるかを明確に受け止めた上で、イエス様に自分の必要を訴えようではありませんか。何をしてほしいのですか。人生が変えられること、家庭が幸せになること、商売が大成功すること。自分の必要を、イエス様の前に正直に求めて祈ろうではありませんか。
同じ説教者が、海外で伝道の最前線に立ち、福音を語って祈れば、確かに何千もの人々が救われ、病を癒やされ、悪霊から解放されるのです。どうして日本では、それが起こりにくいのか。それは、私たち一人一人の信仰の弱さだと思います。
真面目だけれども、スケール感が小さく、信じているイエス様がミニサイズなのです。聖書が語る通りの、リアルサイズのイエス様を意識しようではありませんか。
イエス様が、あなたの前で100パーセントのリアルな、等身大のイエス様でありますように。そして、イエス様が約束されたような恵みを体験していこうではありませんか。
聖書が語る通りのイエス様がおられることを、私たちは明確にしたいと思います。イエス様がここに働いてくださいます。今ご一緒に、祈ってまいりましょう。
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