「お弟子たちに、霊を追い出すよう願ったのですが、できませんでした。」イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な世だ。…いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。」…「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。…もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」(マルコの福音書9章18~23節)
イランとイスラエルの戦争が起こり、心が痛いですよね。お互いに言い分があるのです。悪の連鎖はどこかで断ち切らなくてはなりませんが、人間の理屈では、無理です。神様の前に悔い改めて、一人一人の個人が新しくされるしかありません。
AIなど、技術の進歩はすさまじい勢いですが、悪がはびこるばかりです。今こそ私たちが神の力によって燃やされ、リバイバルを起こさなければ! 人がどんどん悪に傾斜していく中で、それに対抗して勝利できるのは、神の救いの力だけです。今日も神の力に期待しましょう。
この聖書箇所でイエス様は、もしおできになるならなどという中途半端なことを言うのか、信じる者にはどんなことでもできる!と言われています。世の中の常識では絶対に起こり得ないということが実現することを、体験しようではありませんか。
実は私もこの1カ月、主の奇跡を体験しました。断り続けていた依頼をついに受けてしまい、1カ月で2冊の本を和訳、出版する羽目に陥りました。合計700ページ以上もあるのです。出版できるレベルにするには、最低でも1ページ1時間はかかります。布団で寝ることは諦めても、通常の仕事をしながらなんて、人間の計算では絶対に無理です。しかし、できてしまったのです!
1. 人に頼っても何も起きない!
私たち人間は、必ず死ぬ、弱く限界のある存在です。でも、イエス様にあって信じる者とされるときに、私たちは変えられるのです。
この聖書の時代には、テレビも新聞もインターネットもありませんから、イエス様がどの人か分かりません。イエス様かと思って行ったら、お弟子さんだった。それでも同じことができると思ってお願いしたら、何も起こらずに議論になったのです。
しかし、いくら議論しても、人に頼っているうちは何も起こりません。人間の力を頼っても何も起こらないのです。人の世界の中には、あなたを生かす奇跡はありません。
2. 救いはイエスの御名にある!
この息子は、幼い時から事あるごとに泡を吹きながら倒れ、ありとあらゆる医者や魔術師も試したが、何をしてもダメだったのです。それで父親はイエス様に、もしおできになるものならと言ったのでした。
しかしイエス様はその時スパッと、信じる者にはどんなことでもできる!と言われました。あなたも今まで、自分で頑張ろうとして挫折し、成功しなかったかもしれません。人間生活はそうでしょう。
あなたの過去がどうであれ、イエス様は気になさいません。主はあなたの罪をご自分の血で清めてくださり、神の子としての命をお与えくださったのです。100パーセントの力であなたと向き合い、あなたを癒やし、強め、祝福してくださいます。過去とは違うのです。
ここでの、感情を隠されないイエス様が大好きです。イエス様は不機嫌になられました。いつまでがまんしなくちゃいけないのか。不信仰のまま議論して何になるのかと。救いはイエスの御名にあるのです。イエス様の元に来たときに、彼は癒やされたのです。人間の理屈や研究で神のわざは起こりません。イエス様だけが、私たちの人生の方向性を変えられるのです。
罪ある私たちを、神の子と変えてくださることを感謝しようではありませんか。そして、イエス様の元に行ったときに、解決があることを知りましょう。信じる者にはどんなことでもできるのです! それを体験しようではありませんか。この信仰を自分のものとしましょう。
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