…そこに、右手のなえた人がいた。そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。…イエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」そして、みなの者を見回してから、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。…(ルカによる福音書6章6~11節)
5月3日には、「愛と希望の祭典・四国」のプレ大会を開催することができ、大変祝福されたことを感謝します。四国中から牧師先生や兄弟姉妹350人ほどが愛媛県県民文化会館に集まりました。
イエス様が今も人々の魂を救い、新しい喜びと平安、救いの感動に満ちあふれる人生を与えてくださることを一人でも多くの人々にお伝えしていくためのスタートとなる大会になりました。2026年に開催される本大会のために、参加された皆さんと祈ることができたこと、イエス様によって結び合わせられ、教会間や教団、教派の壁を超えて四国中の教会の皆さんと一つのキリストの体を作り上げることができて感謝します。
2026年5月4、5日の大会の成功と共に、四国の諸教会を豊かに祝福してくださることを確信し、祈ってまいりましょう。私たちが忘れてはならないのは、聖書が宣言する通りに、主は今も生きて働かれるということです。信仰の真髄の3つのポイントを押さえておきたいと思います。
1. 私たちの常識の枠で主キリストを縛らないこと!
パリサイ人や律法学者たちは、旧約聖書の専門家でした。彼らにとって安息日は、仕事を休んで神様を礼拝するための日であり、安息日に癒やしを行うことは、仕事をすることと同じで、律法に違反すると考えていました。
そこで、イエス様が片手のなえた人を癒やされたとき、彼らは分別を失い、憤りました。そこには神の御子であり、癒やし主であるイエス・キリストがおられたのに、彼らは癒やしの御業を受け入れることができなかったのです。人間の常識やルールでイエス様を縛り付けないようにしましょう。
2. 私たちの過去の体験で、主キリストを拒否しないこと!
5章の39節には「古い物は良い」とあります。熟成しておいしくなった古いぶどう酒を飲んだ後、満足し、新しい恵みを求めようとしないことは、今も生きて働かれるイエス様が目の前におられるのに、癒やしや新しい恵みを求めようとしないことと同じであり、もったいないのです。
律法学者たちは、過去の体験に埋没して、新しい命の恵みを持っておられるイエス様を拒否したのでした。イエス様が働かれるとき、それはどんなに古くて価値あるものにも勝ることを忘れてはならないのです。
3. 私たちの心を大きく開いて、主キリストの最大限の恵みを頂こう!
主が今ここにおられて、私たちのために今日も働いてくださっていることを感謝し、恵みを受け取る者でありたいと思います。主の恵みは朝ごとに新しく、最高の恵みを与えてくださるのです。
主からの恵みは私たちの限界や弱さ、足りなさを一気に補い、祝福し、強め、私たちの人生を輝かせるものであることを、今週も体験してまいりましょう。
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