
しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしだ。恐れることはない。」(ヨハネの福音書6章20節)
これは旧約聖書で、神がモーセにご自身を示した言葉と同じです。
湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。こうして、四、五キロメートルほどこぎ出したころ、彼らは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、恐れた。(ヨハネの福音書6章18、19節)
弟子たちは、イエスが幽霊だと思って恐れましたが、イエスは、ご自身こそが神の御子、天地万物の創造主であり、全てを支配していることの証しとして、水の上を歩かれました。
強風に荒れる湖は、人生における困難や試練を象徴しています。どんな困難な状況があっても、神の介入による保護があると期待して、恐れることなく、創造主なる神の約束を信じることが求められます。
弟子たちはこれまでに、幾つもの主の奇跡を見てきました。しかし、暗闇の嵐の中で見る主を幽霊だと思い込み、不安と恐れに心が支配されてしまいました。
そんな弟子たちにイエスは、「わたしだ。恐れることはない」とご自身を示し、恐れおののく弟子たちの心を静め、安心させました。
私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。(詩篇56篇11節)
天地を創造された、唯一の神イエスが共にいてくださいます。私たちは主にあって、困難を乗り越えることができます。
恐れは、神からのものではありません。不意に恐れはやってきますが、恐れに心が支配されたときは、心を落ち着かせ、平安が与えられるよう、主に祈ることが大切です。
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。(マタイの福音書10章28節)
燃えるゲヘナ(地獄)で、人の魂を滅ぼすことができる神のみを恐れる信仰が与えられ、平安のうちに守られることを期待します。
それで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。舟はほどなく目的の地に着いた。(ヨハネの福音書6章21節)
イエスを舟に迎え入れると、舟は目指している地に、直ちに着いたのです。私たちの目指す地とは、最終的には「天の御国」です。
生活の中でさまざまな困難や不安に襲われても、神を祈り求めたときに、不思議なる神の守りのうちに保護され、平安が与えられ、神の全能の力、救いの力が働いて、神の奇跡の御業を体験できます。
そして、やがて地上を去る時が来るまで、主イエスの信仰を全うできるように、神の福音から離れることなく信仰を守り抜き、主イエスのご加護のうちに、安息に入ることができますように。信じて主に期待します。
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