日本各地に点在する「三柱鳥居(みはしらとりい)」とは、3つの鳥居を正三角形に組み合わせた鳥居を指し、最も有名なものは、京都市右京区太秦の「木嶋坐天照御魂神社」(「蚕ノ社」)の中にあります(写真)。

この珍しい鳥居の起源については諸説あるようですが、2~5世紀にかけて、数万人規模で日本列島に渡来した「秦氏」(一説には、イエス・キリストを信じるユダヤ系避難民)が、京都の太秦を拠点とし、聖書に記される三位一体の神様を表現するために建立したと考える学者もいます。
「日本書紀」によれば、「秦氏」が朝廷に絹を献上した際、「太秦」の姓を賜ったとされ、「秦氏」の拠点を「太秦」と命名し、アラム語のイエス・キリストを意味する「イシュ・マシァ」に由来する呼び名を付け、それが「うずまさ」になったとする説があります。
「秦氏」は日本人の信仰に寄り添った
かつて日本人(縄文人)は、巨石、山や川、太陽などの自然界を信仰の対象としていたようですが、弥生時代に入り、大陸から渡来したユダヤ人(おそらくBC722年の北イスラエル滅亡によって離散したエフライム族など)の影響で、今の神道の原型が生まれたとする説があります。
全国には非常に多くの神社がありますが、そのほとんどがイスラエルの神殿(幕屋)に酷似した構造になっていることから、その影響が非常に大きかったことは間違いありません。
日本最古の神社の一つとされる「木嶋坐天照御魂神社」は、その名が示す通り、太陽神を祭る神社のはずですが、本殿に祀られる祭神は、天之御中主神(天地創造の神)を中心とした5つの神様の名が記されています。
そして、この神社の神殿の真横には、「蚕ノ社」と命名された別の神殿が建てられています。後の時代に渡来した「秦氏」が、聖書の伝える三位一体の神様を礼拝するため、これまでの神殿とは別に、新たな神殿を建立したように思います。「蚕ノ社」とは、「秦氏」が絹織物を日本に伝えたことから命名されたのでしょう。
おそらく「秦氏」は、かつて巨石や太陽を拝んできた日本の歴史や、そこに天地創造の神様を礼拝する神殿を作ったユダヤ人の先祖に敬意を払い、それらを排除することなく、その傍らに、真の神様への信仰を示す神殿を造ろうとしたのでしょう。
そして、神殿の脇に湧き出る泉の中に建てられた「三柱鳥居」は、彼らの日本人に寄り添う熱い宣教の思いを伝えているように思います。
「三柱鳥居」は神様の本質を示す
聖書が伝える神様の本質は「愛」ですが、父なる神、子なる神(キリスト)、聖霊による三位一体の神様の交わりの中で、この世の始まる前から完全な形で存在していました。
新約聖書に記されるイエス・キリストの生涯を通し、彼が聖霊に満たされ、父なる神様との深い交わりを得ていたことが分かりますが、この交わりの中にこそ、神様の本質である「愛」が満ちています。
聖書は、私たちがイエス・キリストを信じ、神様から「永遠のいのち」を頂くことを勧めていますが、実は「永遠のいのち」とは、この三位一体の神様の交わりに入れられることを示しています。
聖霊に満たされたイエスの弟子ヨハネは、新約聖書の中で下記のように示しています。
私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。(ヨハネの手紙第一1章3節)
日本人に寄り添う熱い宣教の思い
ユーラシア大陸を経て、古代の日本に伝えられたキリスト教は、日本人の文化や習慣を排除することなく、当時の人々に寄り添い、地域ごとの祭りや、祈りをささげる依代(よりしろ)を作りました。
現代の日本人の多くは、それが聖書に記される真の神様に向けられたものとは意識しなくなりましたが、今でも日本人の心の基盤を静かに支えているように思います。
各地に点在し、起源を忘れたかのような「三柱鳥居」ですが、日本人の目指すべき心の在り方を静かに、しかし確かに伝えています。
2026年、イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の親しき交わりが、全ての日本人に豊かにありますように……祈りつつ歩んでいきます。
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