アブラハムが登場するのは創世記11章26節から。父テラとアブラハムの嫁サライらの家族が主なる神の命でカルデア(人)のウルを出て、ハランにとどまり(テラはこの地で逝去)、カナンへと旅立った。
ここで疑問が生じるのは、カルデアのウルとはどこなのかということ。多くの聖書の巻末に掲載されている地図によると、現在のイラク南部のウルとある。イラクのウルからハランまでの距離は約1千キロもある。

しかし、私がトルコ南東部のシャンルウルファに旅したとき、こここそがアブラハムの生まれ育ったウルだと言われていた。また、エブラ文書には「ハラン近郊のウル」との表現があると学者マロニーは語っていて、どちらが正しいのかが疑問として浮かび上がったのである。
日本のトルコ旅行ガイド本には写真付きで、シャンルウルファは、アブラハムがカナンへと旅立つウルの地と説明している。シャンルウルファは、シャンルウルファ県の県都で、南東に約45キロほど離れた地がハランである。

創世記24章には息子イサクの嫁探しがあり、アブラハムが侍従長に命じて彼の生まれ故郷に行き着いた先が「アラム・ナハライムのナホル」であった。ナハライムとはヘブライ語で「2つの川の間」の意で、シリア語はナホリン。
西にはユーフラテス川、東にはチグリス川があり、その2つの川の間(ここをメソポタミアと言って、ギリシア語で2つの川の間の意味)にナホルの町があった(ちなみにヘブライという意味は「川の向こう側」で、ユーフラテス川の向こう側から来た民、川を渡って来た者の説があり、ヨシュア記24章2、3節には具体的に語られている)。
ナホルが人名なら、アブラハムの弟の名前で、一族はここに住んでいたと考えられる。そして、侍従長とリベカとの会話には通訳者がなく、アブラハムとリベカは親族であり、共通の古代アラム語を話し、それ以外の言語はなかったと考える。
アブラハムが旅立った地のウルとは、現在のトルコ東南部のシャンルウルファであり、イラク南部のウルではなくこの地と考えるなら、2つの説があると修正した方がよいのではと問題提起したい。また、カルデア人は紀元前10世紀、イラクの南部には住んでいなかったとの説もある。
ウルファには、アブラハムが生まれ育ったといわれる伝承が残されていて、聖書の一族の名を持った人々も多くいるといわれる。また、カルデアの地とは広くこの地でもあった。ちなみに、この地には396年設立のカルデア教会という名の東方教会もあり、北部メソポタミアには多くの修道院や諸教会が点在し、古代シリア語(母語アラム語)で三一の神を礼拝している。(写真は現地で筆者が写したもの)
*写真や地図などは転載を禁ずる。
■ シリア語による学び:使徒の働き7章2節、4節(右から左に読み書く)

2節の訳:栄光のアロホ(神)は、私たちの父アブラハムに現れた。彼がメソポタミア(これはギリシア語で2つの川の間の意味)にいたときであった。彼がハランに来て住む前に。

4節の訳:その後アブラハムはカルデア(複)の地から出発し、ハランに来て住んだ。そして彼の父(テラ)の死後、そこからアロホ(神)は、現在あなたたちが住んでいるこの地に彼を移したのだ。
(続く)
※ 参考文献
地球の歩き方編集室『地球の歩き方 イスタンブールとトルコの大地』(2025年8月)
川口一彦著『古代シリア語の世界』(イーグレープ、2023年)
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