マリはアルズンを離れて、ベト・ザブダイ(現在のトルコ東南部のジズレ。639年にシリア正教会の本拠地となる)へ行った。(前回から読む)

そこで彼は民衆を改宗させ、そこからベト・アラバイエに行き、そこでも多くの民衆を改宗させた後、アルビルとアトルに行った。彼と同行者たちはチグリス川沿いにあるセレウキア(現在のイラク領内)に下って行った。ここには信徒がいなく、迎え入れてくれる者もいなかったので、家を借りて住み、そこから書簡をエデッサの同僚に送った。
書簡には、次のことが書かれていた。
「以前書いたように、私たちが遣わされた地は、いばらやアザミが生えていて、足を踏み入れることも、山や丘に行くこともできない状況だが、以前、彼らが私たちに書いたように、そこの山も丘も従わせ、そこを耕して生きた種をまき、その産物を天に送るまでは、エデッサに戻る権利も、他の場所に行く権利も、あなたたちにはない」
彼はそうする以外に道はないことを悟り、その村の長老たちの集いに参加し、共に食事をし、飲んで歌った。そして、神の助けと彼らの祈りを通し、その所の集会の議長2人を改宗させた。そして、楽器で歌を奏でた。
礼拝の時が来ると、今までなかった礼拝を盛大にささげた。その後、皆で食事を済ませ、また賛美歌を歌うと、多くの会衆が感激した。
彼らはマル・マリについて「この人は神だ、他の人とは違う」と言った。マリが「キリスト教徒になりなさい」と言うと、彼らは「キリスト教とは何ですか。私たちはそのような名前は聞いたことがない」と言った。
マリは彼らに言った。「天地を造られた全能の神と、天から下られ、人の体をとって現れた神の御子イエス・メシアを信じなさい。そして、あなたたちの指導者たちの力強い働きと癒やしを私たちの手に与えてくださった聖霊を信じなさい」
多くの議論の末、王から偶像を受け取り、ちりのように砕き、それをチグリス川に投げた。そして、マリは偶像の神殿を壊し、代わりに小さな教会堂を建て、そこに司祭などの指導者たちを立てた。また、学校を建て、弟子の一人を教師の責任者に任命した。
マリはその後、低地へ下り、使徒トマスの痕跡を見つけて、多くの人々を全能の神のもとに導いた。
マリは長年にわたり東方の領土を巡回して教会堂を建設した。マリは世を去り、永遠の命へと旅立った。彼の遺体は自身が建てたドゥル・クンニの教会堂に安置され、埋葬された。(了)
■ シリア語による学び:マルコの福音書16章15節(右から左に読み書く)

訳:そして彼(イェシュア)は彼らに言った。「あなたたちは全ての世界に行きなさい。そして、全ての造られた者に福音を伝えなさい」

※ 参考文献
『Invitation to Syriac Christianity』(University of California Press、2022年)
川口一彦著『古代シリア語の世界』(イーグレープ、2023年)
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