原爆

教皇、日本滞在「密度の濃いものだった」 4日間の日程終え帰国の途 

教皇、日本滞在「密度の濃いものだった」 4日間の日程終え帰国の途

ローマ教皇フランシスコは26日午前、4日間の来日日程を終え、羽田空港から特別機に乗り、ローマ郊外のフィウミチーノ国際空港に向け、帰国の途に着いた。最終日に上智大学で行った講話では「滞在は短いものでしたが、大変密度の濃いものでした」と語った。

2019年11月26日12時39分

核兵器の使用「犯罪以外の何ものでもない」 教皇、長崎と広島でメッセージ

核兵器の使用は「犯罪以外の何ものでもない」 教皇、長崎と広島でメッセージ

ローマ教皇フランシスコは来日2日目の24日、長崎と広島の2つの被爆地を訪れ、使用や所有も含め、核兵器の完全撤廃を強く訴えるメッセージを語り、「真の平和は非武装の平和以外にあり得ない」と訴えた。

2019年11月25日18時20分

関西学院、サーロー節子さんに名誉博士号など授与へ

関西学院、サーロー節子さんに名誉博士号など授与へ

関西学院は15日、カナダ在住の平和活動家、サーロー節子さん(87)に、名誉博士号と関西学院賞を授与することを決めた。サーローさんは同学院出身ではないが、同大神学部出身の故・谷本清牧師から洗礼を受けており、その平和活動に大きな影響を受けた。

2019年11月18日13時47分

旧浦上天主堂の「被爆十字架」 カトリックの米兵が発見、74年ぶりに返還へ

旧浦上天主堂の「被爆十字架」 カトリックの米兵が発見、74年ぶりに返還へ

原爆投下後の長崎に進駐した米兵が、被爆して倒壊した旧浦上天主堂(長崎市)のがれきの中から発見し、その後米国に持ち帰っていた「被爆十字架」が来月、74年ぶりに返還されることになった。返還後は、戦後再建された浦上教会で展示されることになる。

2019年07月28日8時32分

ローマ教皇フランシスコ

教皇フランシスコ来日 天皇と会談、東京ドームでミサなど検討

11月下旬に来日が予定されているローマ教皇フランシスコが、東京訪問時に天皇と会談するほか、東京ドームでミサを行うことが調整されている。日本テレビが14日、関係者の話として伝えた。

2019年06月14日19時31分

ローマ教皇フランシスコ

教皇フランシスコ、来年末に訪日意向 広島・長崎で被爆者のための祈りへ

ローマ教皇フランシスコは17日午前、前田万葉(まんよう)枢機卿(大阪教区司教)ら日本からの訪問団とバチカンで面会し、2019年末にも被爆地の広島と長崎などを訪れたいとする意向を示した。

2018年12月18日11時16分

長崎原爆投下と永井隆博士の被爆と死

長崎原爆投下と永井隆博士の被爆と死 込堂一博

猛暑が続く日本列島の8月9日、今年も長崎「原爆の日」が巡ってきた。73年前の8月9日午前11時2分、米軍により一発の原子爆弾が投下された。長崎の街は一瞬のうちに破壊され、死者7万3884人、負傷者7万4909人という甚大な被害を被った。

2018年08月09日7時49分

長崎への旅(6)核戦争の現実的脅威を前にして 込堂一博

長崎への旅(6)核戦争の現実的脅威を前にして 込堂一博

原爆投下されて戦後すぐ1945年、アメリカ海兵隊の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が日本に派遣されました。原爆投下後の広島、長崎をはじめ各地を巡り、廃墟となった街々や日本人の暮らしぶりを撮影しました。

2018年02月03日13時58分

バチカンで核兵器廃絶と軍縮テーマに国際シンポ、日本の被爆者も演説

バチカンで核兵器廃絶と軍縮テーマに国際シンポ、日本の被爆者も演説

バチカンで10、11の両日、核兵器廃絶と軍縮をテーマにした国際シンポジウムが開催された。7月に核兵器禁止条約が採択されたことを受けて開催されたもの。教皇が演説したほか、日本からも被爆者の代表が参加し、核兵器の非人道性などを訴えた。

2017年11月16日23時28分

牧師の小窓 (96)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その12 永井隆博士 福江等

牧師の小窓 (96)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その12 永井隆博士の言葉 福江等

永井隆博士(1908~51)が召されるまで住まわれた畳2畳の小さな家「如己堂」のすぐ隣に、永井隆記念館があります。その記念館の中に博士の言葉が数カ国語に訳されて展示されていました。それらは、博士の著作集の中から抜粋したものです。ここに幾つかご紹介いたします。

2017年09月03日5時51分

牧師の小窓 (95)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その11 永井隆博士 福江等

牧師の小窓 (95)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その11 永井隆博士 福江等

浦上天主堂を見学させていただいたとき、その壮大な聖堂の横に隣接している比較的小さなチャペルの壁に、約8500人の名前が銅版に刻まれていました。それは、原爆によって命を落とした浦上天主堂の信徒や司祭たちの名前でありました。

2017年08月27日6時35分

牧師の小窓 (94)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その10 浦上天主堂 福江等

牧師の小窓 (94)雲仙・長崎 キリシタンの旅・その10 浦上天主堂 福江等

1880(明治13)年に、信徒たちは旧庄屋屋敷を買い取って仮天主堂としました。長い弾圧と流配の打撃から生活の再建ももちろん十分でなかったので、1895(明治28)年になってようやく天主堂(教会堂)の建立に着手しました。

2017年08月20日6時41分

原爆の中でも、広島には人が住み、普通の暮らしがあった 「ヒロシマ」体験者の近藤紘子さんインタビュー(後)

原爆の中でも、広島には人が住み、普通の暮らしがあった 「ヒロシマ」体験者の近藤紘子さんインタビュー(後)

1945年8月6日、爆心地のすぐ近くにあった広島流川教会牧師館で被爆した近藤紘子さん。父の谷本清氏は広島流川教会の牧師で、終戦直後から米国全土を巡り、広島の惨状を伝えるべく講演活動を行い、被爆した少女や孤児の救済活動、渡米治療に取り組んだ。

2017年08月15日11時12分

原爆の中でも、広島には人が住み、普通の暮らしがあった 「ヒロシマ」体験者の近藤紘子さんインタビュー(前)

原爆の中でも、広島には人が住み、普通の暮らしがあった 「ヒロシマ」体験者の近藤紘子さんインタビュー(前)

1945年8月6日、爆心地のすぐ近くにあった広島流川教会の牧師館で被爆した近藤紘子(こうこ)さん。父の谷本清牧師は、終戦直後から米国全土を巡り、広島の惨状を伝えるべく講演活動を行った。その働きを引き継いでいる近藤紘子さんに話を聞いた。

2017年08月15日10時50分

原爆の日でWCC総幹事がコメント、核兵器禁止条約に期待 「新たな決意の原動力」

原爆の日でWCC総幹事がコメント、核兵器禁止条約に期待 「新たな決意の原動力」

広島と長崎に原爆が落とされてから72年目を迎える中、7月には国連で核兵器禁止条約が採択され、世界はこの新しい条約に希望を見いだそうとしている。条約文をめぐっては、多くの政府が交渉を重ね、核兵器を全面的に禁止することで合意に至った。

2017年08月06日21時34分

この人に聞く( )「曖昧ではない徹底した神への信仰を」広島の原爆体験者 上福岡バプテスト教会牧師 荒木寛二さんインタビュー

この人に聞く(40)「曖昧ではない徹底した神への信仰を」広島の原爆体験者 上福岡バプテスト教会牧師・荒木寛二さん

上福岡バプテスト教会牧師を務める荒木寛二(かんじ)さん(75)は、太平洋戦争の末期、米軍が広島に投下した原子爆弾で被爆した体験を持つ。当時、3歳だった荒木さんは、原爆が炸裂した爆心地からわずか約1・5キロメートルの距離に家族で住んでいた。

2017年08月06日6時20分

長崎に生まれ長崎を書き続ける 芥川賞作家・青来有一さんインタビュー(1) 

長崎に生まれ長崎を書き続ける 芥川賞作家・青来有一さんインタビュー(1)

青来有一さんは、1958年長崎生まれ。長崎市役所に勤務する傍ら小説を書き始め、1995年に『ジェロニモの十字架』で文学界新人賞受賞、2001年に『聖水』で芥川賞を受賞、さらに2007年に『爆心』で伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞を受賞した。

2017年02月13日18時21分

日本基督教学会第64回学術大会、広島女学院大学で開催(3)核兵器の「正当性」とキリスト教の論理

日本基督教学会第64回学術大会、広島女学院大学で開催(3)核兵器の「正当性」とキリスト教の論理

日本基督教学会第64回学術大会2日目のシンポジウムで広島女学院大学准教授の澤村雅史氏は「被爆地ヒロシマから」として発題し、広島もまた戦後、米国と日本の核政策に利用されてきたと指摘。また、キリスト教が核の使用の正当化にたびたび用いられてきたことにも触れた。

2016年09月27日21時34分

日本基督教学会第64回学術大会、広島女学院大学で開催(2)「怒りの広島、祈りの長崎」とキリスト教

日本基督教学会第64回学術大会、広島女学院大学で開催(2)なぜ「怒りの広島、祈りの長崎」なのか?

日本基督教学会第64回学術大会2日目にはシンポジウムが行われ、長崎外国語大学教授の小西哲郎氏が「被爆地ナガサキから」、広島女学院大学准教授の澤村雅史氏が「被爆地ヒロシマから」とのテーマで発題した。

2016年09月27日21時30分

戦後71年:原爆を描いた作家・原民喜の祈りと黙契 広島に住む甥の原時彦さんに聞く

戦後71年:原爆を描いた作家・原民喜の祈りと黙契 広島に住むおいの原時彦さんに聞く(2)

時彦さんは、民喜と一度も言葉を交わしたことがないという。でも1度だけ、民喜と2人だけで1日出掛けた思い出がある。ある日、民喜が村から広島に行きたいと言い、兄から「時彦が一緒に行け」と言われてついていくことになった。

2016年08月15日14時10分

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