三浦文学の魅力と底力(7)人々を魅了する小説『塩狩峠』 込堂一博

2019年1月11日17時31分 コラムニスト : 込堂一博 印刷
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映画「塩狩峠」(中村登監督)のポスター
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私は、1991年4月に千歳福音キリスト教会から旭川めぐみキリスト教会に転任しました。その教会の教会員が、旭川市から北約55キロ先の士別市に住んでいました。その士別市近辺に別の教会員2人も住んでいましたので、士別市のK夫妻宅で月一度、家庭集会が開かれていました。初めてその家庭集会を訪れたとき、士別市の手前にある和寒(わっさむ)町の塩狩峠を夕刻通りました。

当時、峠への道は蛇行していて、とても寂しい峠という印象を受けました。その塩狩峠を通りながら、「ここが三浦綾子さんの『塩狩峠』で描かれている長野青年の殉職した現場だ!」と深い感動に浸ったことを忘れることができません。JR塩狩峠駅は無人駅で、周辺には何もなく静寂が支配する世界です。K夫妻が帯広へ引っ越すまでの約2年間、毎月1回塩狩峠を車で通過したことを懐かしく思い出します。

1909(明治42)年、この峠で当時国鉄職員だった長野政雄さんは、客車の逆走を止めようと自らの体をレール上に投げ出し、乗客の命を救いました。綾子さんは、その長野さんが旭川六条教会の大先輩であったことを知り、大いに感動しました。そのことを綾子さんに教えてくれたのは、長野さん直属の部下・藤原栄吉さんでした。

長野さんの実話を基にした綾子さんの小説『塩狩峠』は、1966年4月から2年半にわたり、キリスト教月刊誌「信徒の友」に連載されました。綾子さんのデビュー作『氷点』が、朝日新聞で連載(64年12月9日~65年11月14日)されている終わり頃に、「信徒の友」編集長で文芸評論家の佐古純一郎氏が、旭川の綾子さん宅を訪れ、依頼したことで生まれた作品でした。

綾子さんは、『塩狩峠』連載の前に「信徒の友」(66年3月号)で以下のように語っています。

『塩狩峠』の主人公には原型がある。一昨年、私たちの教会の81歳になられる藤原栄吉さん宅を訪問し、その信仰の手記を拝見させていただいた。その中で、若き日の藤原さんを信仰に導いた長野政雄さんという方の一生を私は知った。長野さんの信仰のすばらしさに私は声もでないほどの強い感動を受けた。

しかし、あらかじめ、はっきりとお断り申し上げたいのは、長野政雄さんは、あくまで原型であって、この小説の主人公その人でないということである。(中略)この小説が終わった時、読者のひとりびとりの胸の中に、この主人公が、いつまでもいつまでも生き続けてほしいと願っている。

このようにして「信徒の友」に連載された『塩狩峠』が、やがて新潮社から単行本になって出版されると、大変な反響を呼びました。さらに松竹とワールドワイド映画で映画化(中野誠也・佐藤オリエ出演)され、数多くの観客が押し寄せ話題となりました。

この『塩狩峠』連載のきっかけを作った「信徒の友」編集長の佐古氏は、自著『三浦綾子のこころ』(朝文社、1989年)で次のように書いています。

その『塩狩峠』の発行部数は、現在おそらく2百万部を超えていると思います。私はこれは大変なことだと思います。これだけキリスト教徒の本質というべき愛、アガペーといっていい愛を大胆に書いた小説が、新潮社という、日本の文芸出版で最も代表的な出版社から出版され、2百万の読者を持ち続けて、まだ今もずっと再版が続いております。これは、私は奇跡的な文学的事件だと思います。

皆さん、『塩狩峠』という小説は、やっぱり私は現代には珍しい小説だと思います。しかも、こういう小説が2百万もの人に読まれるということは、現代に生きる人間の心の中に、そういう渇き、飢えがあるからじゃないかしら。それは、非常に私は大事だと思う。三浦さんの文学が読まれるということは、やっぱり今の時代、今の社会の中で要求されるものがあるからだと思います。(71ページ、87〜88ページ)

1989年時点で200万部とありましたが、現在では370万部を超えています。無人の塩狩峠駅に置かれたノートには、小説を読み感銘を受けた全国のファンが、各人の感想を自由に記しています。

「遠かった。駅に降り立った瞬間、涙が出ました」
「長野さん、心のいやしをありがとう」

『塩狩峠』を読み激しく感動を受けた読者たちが、小説の舞台である塩狩峠の駅に降り立ち、小説のモデルとなった長野さんに語り掛けています。以前、地元紙に「塩狩峠は、若者たちの聖地になっている」と報じられたこともありました。

小郡キリスト教会(福岡県小郡市)の故下川省三牧師は生前、塩狩峠の映画フィルムと映写機を車に乗せて、九州全県各地を100カ所以上巡る映画会を開いたそうです。末期の血液のがんで余命1カ月と宣告された下川牧師は2008年2月、ご家族で旭川の三浦綾子記念文学館を訪れました。病状が奇跡的に安定し、5月に夫人と共に再び旭川に来られましたので、長野さんの墓や塩狩峠に車で案内させていただきました。「自分の人生の最期に、あの塩狩峠にもう一度行きたい」。下川牧師の切なる願いであったことを覚えます。病状が悪化した11月に「もう一度、旭川に行きたい」と願われて、旭川を訪れてくださいました。この時は体調が悪く、滞在中ずっとホテルで休んでおられましたが、「旭川に来られただけでもうれしい」と感謝されていました。年が明け09年2月11日、下川牧師は67歳で召されました。下川牧師と召される前に1年間、主にある豊かな交流が与えられたことを感謝しています。

三浦文学の魅力と底力(7)人々を魅了する小説『塩狩峠』 込堂一博
塩狩峠で下川省三牧師夫妻と共に=2008年5月14日

綾子さんが『塩狩峠』連載前に語った言葉、「この小説が終わった時、読者ひとりびとりの胸の中に、この主人公が、いつまでもいつまでも生き続けてほしいと願っている」。末期のがんで死を前にした下川牧師の心に、『塩狩峠』の主人公・永野信夫のモデルである長野政雄さんが、いつまでも生き続けていたことをあらためて覚えます。

「真っ白な雪の上に、鮮血が飛び散り、信夫の体は血にまみれていた」、去年も今年も、そうして明年の冬も、塩狩峠を旅する人々は、純白の雪一色の塩狩峠に、飛び散っている犠牲の鮮血を見るであろう。『塩狩峠』というこの作品が、長野政雄の犠牲の死を、そのように人々の心によみがえらせてくれたのである。(『塩狩峠』〔新潮文庫〕佐古純一郎の解説より)

小説『塩狩峠』は、発刊から50年を経ても、読む者の心を魅了してやむことはありません。(続く)

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込堂一博

込堂一博(こみどう・かずひろ)

北海道室蘭市生まれ。聖書神学舎卒業。現在、屯田キリスト教会協力牧師、三浦綾子読書会相談役。著書に『人生の先にある確かな希望(天のふるさと)』(イーグレープ)、『三浦綾子100の遺言』(フォレストブックス)、『終わりの時代の真の希望とは~キリストの再臨に備えて生きる!』(個人出版)他。

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