
込堂一博
北海道室蘭市生まれ。聖書神学舎卒業。現在、屯田キリスト教会協力牧師、三浦綾子読書会相談役。著書に『人生の先にある確かな希望(天のふるさと)』『三浦綾子100の遺言』『終わりの時代の真の希望とは~キリストの再臨に備えて生きる!』他。
北海道室蘭市生まれ。聖書神学舎卒業。現在、屯田キリスト教会協力牧師、三浦綾子読書会相談役。著書に『人生の先にある確かな希望(天のふるさと)』『三浦綾子100の遺言』『終わりの時代の真の希望とは~キリストの再臨に備えて生きる!』他。
15日に出身教会である横浜のシャローム福音教会創立50周年記念講演会に講師として招かれました。「私が知る作家 三浦綾子ご夫妻の素顔」という講演題を教会側から与えられました。そこで語ったことをベースに、「三浦夫妻の素顔」をまとめました。
1999年10月12日に三浦綾子さんが召天された後、夫の光世さんは、一人で生活されていましたが、秘書の山路多美枝さんが献身的に手助けされていました。三浦綾子記念文学館の高野斗志美初代館長が急逝された後、光世さんは2代目館長に就任。
三浦作品を読んで人生が一変し、新しい希望の人生へと方向転換した人々が数えきれないほど多いことは、よく知られています。その中でも、旭川市在住の中島啓幸(ひろゆき)さんは稀有(けう)な存在です。
2001年、長谷川与志充牧師が東京で三浦綾子読書会を創設したのと同じ頃、福岡でも読書会が福岡女学院大学助教授の森下辰衛氏によって始められました。偶然にも同じ年に2つの読書会が発足したことを知った2人は、一つに統合することに決めました。
1999年10月12日、三浦綾子さんが召された直後、私は教会で行っていた3分間の「テレホンタイムともしび」で、追悼メッセージをしました。その内容は綾子さんの言葉を引用し、短いコメントをして聖句を引用するというシンプルなものです。
三浦綾子さんが召されて3年後の2002年、まったく見知らぬ青年牧師から電話がありました。「このたび三浦綾子読書会を立ち上げ、綾子さんの地元、旭川でも読書会をしたいと願っています。その件でお会いしたいのですが・・・」と言うのです。
三浦綾子さんが77歳で召されたとき、夫の光世さんは75歳。現在では、後期高齢者の年齢ですが、光世さんの新しい歩みは75歳から始まりました。あの信仰の父アブラム(アブラハム)が、神の声に従い生まれ故郷を離れたのと同じ年齢です。
三浦綾子さんが召された後、映画「男はつらいよ」シリーズの山田洋次監督、将棋の羽生善治四冠(当時)、同じ北海道出身の女流作家、原田康子さん、元旭川市長で元官房長官の五十嵐広三さんなど、その死を悼む各界からの声が北海道新聞に掲載されました。
1999年7月に容体が急変した三浦綾子さんは、旭川リハビリテーション病院に転院後、8月下旬から9月にかけて体調が安定してきました。ところが9月5日朝、容体が悪化し、看護師が駆け付けると心肺停止の状態でした。
私が旭川に転任したとき、三浦綾子さんは69歳、夫の光世さんは67歳でした。綾子さんは、肺結核をはじめ、直腸がんや帯状疱疹(ほうしん)などの病気にかかり、絶えず闘病生活を強いられ、病気の問屋とも言われていました。
私は、本コラムの3回目に「旧宅解体と保存運動の渦の中から」について書きました。三浦夫妻から教会に寄贈された旧宅をめぐって、私も教会も「思いがけない渦」の中に巻き込まれ、複雑な日々を余儀なくさせられました。
私は、1991年4月に千歳福音キリスト教会から旭川めぐみキリスト教会に転任しました。その教会の教会員が、旭川市から北約55キロ先の士別市に住んでいました。近辺に別の教会員2人も住んでいましたので、士別市で月一度、家庭集会が開かれていました。
三浦夫妻の旧宅解体式を機に、「旭川に三浦綾子記念文学館を」をという機運が一気に沸き起こってきました。その頃、パーキンソン病の症状が悪化する綾子さんを、夫の光世さんは忍耐深く日々介護されていました。
旭川に転任してすぐに三浦夫妻を表敬訪問したとき、綾子さんのエッセー集『風はいずこより』(いのちのことば社)を1冊頂きました。その中に「苦難と不幸」というエッセーがありました。
三浦文学の魅力はどこにあるのか、の問いに対して、そのテーマが明確であることが上げられます。「人はいかに生きるべきか」「生きるとはどういうことか」が、三浦文学の根底に流れています。
三浦夫妻から譲り受けた旧宅をいつまでも空き家としておくのは、防災などの面から心配があると指摘され、教会として旧宅をどうすべきか、判断に迫られました。三浦文学誕生の貴重な住宅なので、「三浦綾子文学館」にしてはという声も上がっていました。
私が転任した旭川めぐみキリスト教会は、国際福音宣教会(OMF)=当時は国際福音宣教団=の英国人宣教師、ウィリアム、シーラ・フェニホフ夫妻が、1968年10月に旭川市豊岡地区で開拓伝道をして始まりました。
9月28日午後には、三浦光世・綾子夫妻の旧宅を譲り受けて誕生した旭川めぐみキリスト教会(日本福音キリスト教会連合)で、三浦夫妻ゆかりの人たちによる講演会「三浦綾子、光世を語る」が行われた。
北海道旭川市にある三浦綾子記念文学館が今年、開館20周年を迎えた。それを記念して三浦夫妻の書斎を復元した分館が9月29日にオープンし、一般公開された。その旭川市で、9月27日から29日まで「三浦綾子読書会旭川全国大会」が開催された。
私が10代の後半、朝日新聞1千万円懸賞小説で、北海道の旭川市にある小さな雑貨店を営むごく普通の主婦、三浦綾子さん作の『氷点』が入選したというニュースが大々的に報道されました。三浦さんは、日本基督教団旭川六条教会に通うクリスチャンでした。