-
温故知神—福音は東方世界へ(43)日本に景教を紹介した人物たちその5:海音寺潮五郎と陳舜臣 川口一彦
直木賞受賞者の海音寺潮五郎は、非難した評者たちに対して反論し、著作背景を詳細に述べ、景教徒の一部が蒙古族に追われて来日していただろうことを書きました。しかし、著書には詳しい景教の布教状況や聖書の言葉などはありません。
-
死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(61)成長しない成長 米田武義
昨夜1時ごろ、怖い夢にうなされて目が覚めた。私にとっては驚きであった。というのは、この数カ月、怖い夢を見たことがなく、平安で温かい夢しか見なかったからである。
-
ビジネスマンから牧師への祝福された道(31)神が願われる労働による祝福 門谷晥一
神が願われる労働に携わることは、本来大変な光栄であり、誇りであり、大きな喜びであり、結果として、神の特別恩恵による大いなる祝福を受け、豊かな実を結ぶものである。その祝福がどんなに素晴らしいものであるかを、幾つかの御言葉から見ていきたい。
-
牧師の小窓(21)福江等
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた仙台市宮城野区の「シーサイドバイブルチャペル」で、瓦礫(がれき)の中から掘り出され、再建された十字架が被災者に希望を与えていると聞きました。
-
なにゆえキリストの道なのか(33)モルモン教はキリスト教とどう違うのか 正木弥
モルモン教は、1820年以降、ジョセフ・スミス・ジュニア(1805~1844年、以下ジョセフ・スミス)が見たと称する幻と啓示から始まる。
-
受難週と復活「互いに愛し合う教会」の誕生物語(5)「愛し合う」ための「入り口」 森正行
互いに優劣を競い争い合ったキリストの弟子たちが、「互いに愛し合う」関係を築くために、神は、イエス・キリストが十字架に架けられる受難の一週間と、その後のキリストの復活の期間を用い、彼らの関係性を劇的に変えていかれました。
-
福音の回復(6)惑わされても気付かない 三谷和司
私たちを惑わし、罪を犯させてくる敵は、自らが積み上げてきた「経験」である。ところが、人は自らの「経験」に惑わされるとは夢にも思わない。そのため、惑わされても全く気付かない。気付かないから、前回述べたような甚大な被害が人に及ぶ。
-
イエス・キリストの系図に込められたメッセージ 菅野直基
今日は、新約聖書の最初に出てくるイエス・キリストの系図についてお話ししたいと思います。聖書は、66冊の本が1冊になった書物です。新約聖書の1ページ目に出てくるのはマタイによる福音書で、この書はユダヤ人に向けて書かれたものです。
-
ようこそ!みのり農場へ(27)希望 星野敦子
もうすっかり春ですよね。民宿の玄関には、冬のお客様用に、雪かき用のスコップと車の屋根の雪落とし、それに庭で遊ぶ用のそりとかんじき。いつでも自由に使えるようにと準備しておくのですが、この冬はスコップを1~2回使っただけで、他はとうとう一度も使わずじまい。
-
蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ(7)洗剤ジョイと皿洗い ミュリエル・ハンソン
これは、「洗剤ジョイ(喜び)」という食器洗い洗剤のテレビ宣伝ではありません。洗剤ジョイがいっぱい入っているキッチンの洗い桶に手を浸けているのに、食器洗いを「喜んで」できない青年女子を、私は思い起こしています。
-
闇から光へ~的外れからの解放~(3)佐伯玲子
前回は、私が約22年間洗脳されていた「墓信仰」の教えのメーン、「墓」と人との関係についていろいろとお話をさせていただきました。今回は、それに付随して言われていた排除すべき「物」や行ってはいけない「場所」について教えられたことをお話ししたいと思います。
-
FINE ROAD―世界の教会堂を訪ねて(19)イギリスの教会①コヴェントリー大聖堂 西村晴道
ロンドンのユーストン駅(Euston Station)からバーミンガム行きのヴァージントレイン(Virgin Train)に乗る。緑の田園、馬や羊がのんびり草を食むゆるやかな丘、川に浮かぶボート、時々現れる町、すぐにまた緑の野原、イギリスは緑の季節、1時間半でコヴェントリー駅に到着。
-
神は世(コスモス)を愛された 穂森幸一(28)
私の知人がギリシャに行き、電車に乗っていたそうです。電車は通勤時刻と重なったため、とても混んでいたそうです。その時に、ギリシャ人が「これはコスモスだ」と叫んだそうです。「人がいっぱいだ」という意味だと思います。
-
富についての考察(42)代案の必要性 木下和好
教会では、献金は別として「お金がもっと欲しい」といったタイプの話がタブー視される傾向がある。「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」(ルカ16:13)という聖書の教えがその背景にあると私は思う。
-
とことん注ぎ出されたキリストの愛 万代栄嗣
私たちがそもそも「幸せだ」と言えるのは、御子イエスの十字架の贖(あがな)いと復活により、罪から救われ、永遠の命を頂き、福音に生きることができるからです。イエスの愛がどのようなものか、もう一度あなたの心に刻み込んでください。
-
【科学の本質を探る㉟】脳科学の未解決問題(その4)クオリアと意識の謎は解明できるか? 阿部正紀
前回は、チャーマーズが、物質でできた脳から主観的な心(意識)がどのように生じるかを説明できないことが最大の難問であると主張し、これを「意識のハードプロブレム」と呼んだことをお話ししました。
-
【聖書クイズ】イエス様が「天国はこのようなものである」と言われなかったのはどれ?
マタイによる福音書13章で、イエス様が「天国はこのようなものである」と言われなかったのは、どれでしょうか。
-
【ユダヤ文化と聖書2】イースターと過越の祭り 関智征
イースター(復活祭)は、キリスト教会にとって最も重要なお祝いの一つです。十字架の上で殺されたイエス・キリストが3日目に復活したことを祝うこの祭り。日本でも、イースターのキャンペーンを実施する企業も増え、知られるようになってきました。
-
【寄稿】私の復活祭マニフェスト―永遠の命への希求と“エクソダス” 矢澤俊彦
連日満員の鶴岡の加茂水族館。豊かな水を得てスイスイ動き回る魚たち。彼らを羨望(せんぼう)の眼で眺めながら、そうだ、必要なのは、私たちを心地よく泳がせてくれる水ではないか。魚になくてならぬ水こそ、人間に永遠の命を保証する「宗教」というものではないでしょうか。
-
わが人生と味の道(27)息子の留学 荘明義
息子の義光はある時、学校で同級の女の子――商売をしている家の子と聞きましたが――と仲良くなりました。彼女はいつも自分一人で勉強し、食事をし、家ではいつも一人ぼっちなので、息子はその子がかわいそうで一緒に勉強をしたり、一緒にお昼を食べたりしてあげていました。