彼らがエリコを出て行くと、大ぜいの群衆がイエスについて行った。すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」…イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」彼らはイエスに言った。「主よ。この目をあけていただきたいのです。」イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。(マタイの福音書20章29~34節)
今日は、お開きした2人の盲人のお話から癒やされる秘訣を頂き、恵みを体験しましょう。イエス様を信じ、キリスト者と呼ばれるようになった私たちは「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていない」(使徒4:12)と言われている、権威・力ある御名を与えられています。
イエス様の御名によって祈るならば、罪が赦(ゆる)され、聖霊を受け、病が癒やされ、神の恵みを頂くことができるのです。癒やしを祈るときに、イエス様のお名前に恥じない、イエス様との関わりを明確に持ちたいと思います。
マルコの福音書では、これと同じような物語が、バルテマイという盲人の名で書かれていますが、ここで個人を特定していないのは、神の言葉として私たち誰にでも起こり得ることを表しています。
彼らはイエスがお通りになると聞くと、大声で「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ」と叫びました。イエスは彼らを呼んで言われました。「わたしに何をしてほしいのか」。彼らはすぐさま「主よ。この目をあけていただきたいのです。ものをちゃんと見て、光ある人生を歩むことが願いです」と答えました。イエス様は、かわいそうに思い、彼らの信仰に応え、その場でお癒やしになりました。ここから、癒やされる3つの秘訣を学びたいと思います。
1. 癒やし主キリストとの接点を明確に!
イエス様との交わり、関係を明確にする者でありたいと思います。2人の盲人は「ダビデの子、私をあわれんでください」と大声で叫び、イエス様が直接、接点を持ってくださることを願いました。
皆さんも、癒やしを祈るとき、信じて声を出して祈ってください。一歩踏み込んで、積極的に信仰を働かせ、イエス様に関わると、そこに恵みが現されます。
2. 癒やし主、キリストへの求めを正確に!
癒し主キリストに対して求めていることを、正確に伝えたいと思います。イエス様は彼らに「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねています。彼らは「主よ。この目をあけてください」とはっきりと明確に答えました。
彼らは目が開くと、自分の人生が変わることを知っていました。自分の一番必要な要点が、分かっていたのです。私たちも、自分の求めていることを明確に意識して、イエス様にお伝えすることです。あなたにとって最も大切なものを、具体的に祈りましょう。
3. 癒やし主キリストへの思いを熱く!
この2人の盲人は、イエス様に聞いてもらえるまで大声で叫ぶことをやめませんでした。必死でした。熱心さを込めて叫んだのです。私たちも、イエス様に思いを伝えるときに、熱く、熱量を持ちたいと思います。
今、世の中は冷めていて、何かあると文句ばかり。これは、幸福とは縁のない生き方です。祝福は、冷めた人生ではなく、燃える人生にあります。神様から与えられた命、温かい命、それが熱く燃やされますように!
イエス様との生きた接点、深い交わりを持ち、何をしてほしいのかと問われると「主よ、これです」と必要なものを明確に伝え、あなたの信仰の熱い熱量を込めた願いで癒やされましょう。主は、必ずあなたを愛して、御業を現してくださいます。
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