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温故知神—福音は東方世界へ(42)日本に景教を紹介した人物たちその4:司馬遼太郎 川口一彦
司馬遼太郎(1923~1996年、本名は福田定一)は大阪に生まれ、1944年に大阪外国語学校蒙古語科を卒業し、入隊後に倒産した新聞社から産経新聞社に入社。同社の記者時代の1956年に『ペルシャの幻術師』で講談倶楽部賞を受賞。この時から司馬遼太郎の名を使う。
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三位一体の神様(2)オーガニック・セオロジー 山崎純二
さて前回から三位一体に関する連載を始めさせていただいたのですが、今日は最初に問題の論点を明確にし、本論に入る前に三位一体をひも解くための頭の準備運動をしていきたいと思います。
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死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(59)正しい子育て 米田武義
自分自身に関しては、子育てを語る資格はないかもしれない。私はほとんどの人同様、長期的な方針や、芯のある思想もなく、古来信じられてきた日本人の道徳を精神的な支えとし、子どもたちもそういう日本古来の徳を追求するのが目標であると思っていた。
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福音の回復(5)恐るべき被害の実態 三谷和司
イエスは、御言葉をふさぐのは「この世の心づかい」と「富の惑わし」だと言われた。「また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです」(マタイ13:22)
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人に言えない悩みをどう解決するか? 菅野直基
人には、それぞれ誰にも相談できない悩みがあるのではないでしょうか? 誰かに話せたら悩みが半減するのに、言えないばっかりに苦しみが倍増します。
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闇から光へ~的外れからの解放~(2)佐伯玲子
知らず知らずのうちに、私の魂の領域をむしばみ、体を病ませ、私の大切な家族の絆や仕事の夢、将来の希望を奪っていった信仰とは・・・!? ズバリ! 「天と地の法則」なる「墓信仰」でした!
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FINE ROAD―世界のモダンな教会堂を訪ねて(18)フランスの教会④ ルルドの泉と大聖堂 西村晴道
ルルドはフランス南西部、スペイン国境のピレネー山脈のふもとにあるカトリック最大の聖地、巡礼者の町。トゥールーズから列車Intercitesで1時間45分。
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富についての考察(41)All in One Basket 木下和好
「キリスト教が愛と赦(ゆる)しと寛容な宗教であるなら、なぜそんなにも多くの教団があるのか?」という質問を受けたことが何度かある。
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【科学の本質を探る㉝】脳科学の未解決問題(その2)「心と脳」に関する「心脳二元論」の発展と問題点 阿部正紀
今回は、物質ではない心が、どうして物質からなる体(または脳)で生み出されるのかという「心身(心脳)問題」が古代ギリシャ時代以来どのように論じられてきたかを概説します。
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キリストがもたらされた恵みの深さ 万代栄嗣
このところの日本食ブームに乗り、海外でも「日本食レストラン」が多く見られます。中には、見かけだけ日本食で、味は全く別物で驚かされることがあります。ところで私たちの信仰はどうでしょう。
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【聖書クイズ】「主よ、来てください」という意味の言葉はどれ?
以下の聖書に出てくる言葉の中で「主よ、来てください」という意味が含まれているのは、どれでしょうか。
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ビジネスマンから牧師への祝福された道(30)労働における聖霊の働き・その3 門谷晥一
聖霊の賜物に関して、次のことは教会成長のみならず、労働にとっても大変有益である。(イ)与えられた自己の聖霊の賜物を正確に把握すること、(ロ)聖霊の賜物と、生来のタラントや聖霊の実やキリスト者としての役割および偽の賜物などとの明確な違いを見極めること。
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牧師の小窓(19)福江等
アメリカの作家ソーントン・ワイルダーが書いた短編小説に『サン・ルイ・レイの橋』というものがあります。1927年に初版本が出版され、それ以来読み継がれてきています。
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なにゆえキリストの道なのか(31)“統一教会”はキリスト教ではないのか 正木弥
正式の名称は「世界平和統一家庭連合(旧:世界基督教統一神霊協会)」といい、1954年にソウルで文鮮明(1920~2012年)という人物によって設立されたものです。その教典は、文鮮明の『原理原本』を基に書かれた『原理講論』です。
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受難週と復活「互いに愛し合う教会」の誕生物語(3)布石の言葉 森正行
囲碁の世界では、一般的に布石が最初に打たれます。「布石を打つ」とは、先回りをした一手を打つことを意味します。イエスが弟子たちに言われたこの言葉は、後に「互いに愛し合う」教会を生み出すために、主が先回りして打たれた〝布石〟となる言葉でした。
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蜜と塩―聖書が生きる生活エッセイ(6)主イエスの名によって ミュリエル・ハンソン
私たち家族は、バイブル・キャンプに参加していました。夫がキャンプの講師でしたので一緒に行ったのです。キャンプ参加者のメンバーが一人残らず自分の部屋に戻った後、スタッフたちは奉仕担当者の部屋でドーナツを頬張り、コーヒーを飲みながら、ほっと一息ついていました。
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地の果てにまで 穂森幸一(26)
私たちはどこかに出掛けるとき、「片道2日かかります」とか聞いただけで、どんな遠い所に行くのだろうかと思います。しかし、聖書時代の人々にとって、距離とか時間とかは関係ありませんでした。
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三位一体の神様(1)初めに 山崎純二
2015年10月14日付の本紙記事において「なぜ三位一体は理解しづらいのか?」という非常に興味深い記事がありました。この記事においては、以下の四つの代表的な「例え」が紹介されていました。
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わが人生と味の道(26)酒と縁が切れた日 荘明義
弟とその家族が日本を離れ、カナダに帰ってしまった後も、私に酒が必要でなくなったのでした。それまで私は大酒飲みで、誰ともよく付き合い、そしてどこに行ってもよく飲み、1軒、2軒、3軒とはしごすることも全然苦にならなかったのです。
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死に勝るいのちを得て―がん闘病817日の魂の記録―(58)労苦できることが喜び 米田武義
本当に体がだるいとか、疲れて苦しいとかであれば休養しなければならないが、これといってすることがないので、ダラダラと過ごしたりしているために、体が鈍ってしまい、体調が悪くなることがある。