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コヘレト書を読む

コヘレト書を読む(9)「4つの時」―点的な時・時間・無限・神の永遠― 臼田宣弘

2018年10月4日11時39分 コラムニスト : 臼田宣弘
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関連タグ:臼田宣弘コヘレトの言葉(伝道者の書)
日本基督教団柏崎伝道所にて撮影
日本基督教団柏崎伝道所にて撮影

前回、「食べて飲むことを神様からのプレゼントとして受け取る」ということを、コヘレトが最も大切にしていると書かせていただきました。今回は、大切にしているそのことを、コヘレトが「時」という観点で展開させていることをお伝えしたいと思います。

さて、今回は3章1~17節を取り上げますが、この箇所は大変綺麗な「集中構造」によって書かれています。集中構造といいますのは、第2回でもお伝えしましたように、修辞法(レトリック)の一つで、文章が、ABC〔D〕C´B´A´というように、ある部分を中核にして対称の形になっているものです。そう言っても分かりにくいと思いますので、一つ分かりやすい具体例を示してみたいと思います。第3回でも取り上げた、創世記4章1~17節のカインとアベルの話が、とても分かりやすい事例だと思いますので、この話を集中構造分析してみたいと思います。1~17節の中核部を見いだし、対称形に抽出し、対称になっている部分をA~Hのアルファベットとそのダッシュでつなぎます。〔 〕内に、それぞれの対称部の題と考えられる言葉を付けさせていただきました。

A〔妻を知る〕さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。
B〔主のみ前(に出る・から去る)〕(略)時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。
C〔目を留められる主〕主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。
D〔顔〕カインは激しく怒って顔を伏せた。主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。」
E〔罪〕「正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。」
F〔呪い〕「お前はそれを支配せねばならない。」
G〔アベルの血〕カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
H〔主の問い掛け〕主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」
I〔中核〕カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」
H´〔主の問い掛け〕主は言われた。「何ということをしたのか。」
G´〔アベルの血〕「お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。」
F´〔呪い〕「今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
E´〔罪〕カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。」
D´〔顔〕「今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて(略)」
C´〔目を留められる主〕主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。
B´〔主のみ前(に出る・から去る)〕カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。
A´〔妻を知る〕カインは妻を知った。彼女は身ごもってエノクを産んだ。

(創世記4:1~17、新共同訳)

このように分析してみますと、この話は、中核部I「カインは答えた。『知りません。わたしは弟の番人でしょうか』」を軸にして、ABCDEFGH〔I〕H´G´F´E´D´C´B´A´という対称形になっていることが分かります。このような文章の構造がまさに集中構造です。聖書には旧約にも新約にも、この集中構造によって書かれているものがたくさんあります。なぜこのような構造になっているのかといいますと、古い時代には、聖書の話が文章ではなく、口から口へ伝承されたというところに理由があるようです。このように対称の形に話をまとめれば、先代から後代へと口で伝えやすかったのでしょう。しかし、元来は伝承のためのものであったこの集中構造が、次第に修辞的に美しさを求めるものになっていったともいわれています。集中構造、特に聖書の中のものについては、森彬(あきら)著『聖書の集中構造』(上・下・新)において、詳しく学ぶことができます。

集中構造というのは、カインとアベルの話の分析で分かるように、1)中核があり、2)対称箇所が共通した内容になっています。集中構造を検討することによって読者が得られることは多々あるのですが、私は重要なことは2つだと考えています。それは、1)集中構造では中核が一つの話の中心になっている。だから中核を見つけ出せれば、その話において何が一番中心的なことであるかが分かる。2)対称箇所に共通することが書かれているので、読んでいて分からないところがあれば、対称箇所を見ることによって、そこからヒントを得ることができる、ということです。この2つを活用するだけでも、聖書を読む楽しさはグーンと膨らみます。

ちなみに、このカインとアベルの話の中心は、集中構造分析によるならば、カインがアベルを殺害したことではなく、中核部の「知りません。わたしは弟の番人でしょうか」と、カインがその殺害について神に対してシラを切ったことであることが分かります。なるほど、確かにそうかもしれない、カインの犯した罪で最も重いものはそれなのか、と思わされるものです。

さてそれでは、今回の本題にまいります。コヘレト書3章1~17節の集中構造分析をして、そこから何を得られるのか探ってみましょう。以下がその分析ですが、やはりこれも、対称部ごとに題を付けてみました。

A〔すべてに時がある〕
1 何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
B〔すべては神の御手の内に〕
2 生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、3 殺す時、癒す時、破壊する時、建てる時、4 泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時、5 石を放つ時、石を集める時、抱擁の時、抱擁を遠ざける時、6 求める時、失う時、保つ時、放つ時、7 裂く時、縫う時、黙する時、語る時、8 愛する時、憎む時、戦いの時、平和の時。
C〔考察〕
9 人が労苦してみたところで何になろう。10 わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
D〔神による時の支配〕
11 神はすべてを時宜にかなうように造り、
E〔無限〕
また、「ハーオーラーム / הָעֹלָם」を思う心を人に与えられる。
F〔神の永遠への畏れ〕
それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。
G〔ヤダアティー / יָדַע‏ְתִּי〕
12 わたしは知った。(ヘブライ語の原文は上記〔 〕内)
H〔中核〕
人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ、と。13 人だれもが飲んで食べ、その労苦によって満足するのは、神の賜物だ、と。
G´〔ヤダアティー / יָדַע‏ְתִּי〕
14 わたしは知った。(ヘブライ語の原文は上記〔 〕内)
F´〔神の永遠への畏れ〕
すべて神の業は永遠に不変であり、付け加えることも除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
E´〔無限〕
15 今あることは既にあったこと、これからあることも既にあったこと。
D´〔神による時の支配〕
追いやられたものを、神は尋ね求められる。
C´〔考察〕
16 太陽の下、更にわたしは見た。裁きの座に悪が、正義の座に悪があるのを。
B´〔すべては神の御手の内に〕
17 わたしはこうつぶやいた。正義を行う人も悪人も神は裁かれる。
A´〔すべてに時がある〕
すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある。

(3:1~17、新共同訳、11節の「ハーオーラーム」はヘブライ語原語、13節下線部は新共同訳以外の多数の聖書翻訳)

以上のように分析してみました。ただこれは、あくまでも私の分析です。集中構造分析は、分析者によって若干の差が出るものであることを付言させていただきます。しかし、このテキストの集中構造分析においては、私が知る限り、どの分析者も中核部については一致しています。ですから、このテキストの中心が、コヘレトがこの書の中で最も大切にしている「食べて飲むことを神様からのプレゼントとして受け取る」であることは明らかです。これが前述した「集中構造によって分かる重要なこと」の1つ目によって得られることです。

この集中構造をよく見てみますと、「時」というテーマによって貫かれたものであることが分かります。出だしの「何事にも時があり」(1節前半)の「時」は、ヘブライ語で「ゼマーン / ז‏ְמָן」という単語です。これは「季節・時間・期間」と翻訳できる、一定の長さを持った「時」のことです。それに対して1節後半の「すべて定められた時がある」の「時」は、「エート / עֵת」という単語です。こちらは「点的な時」です。2~8節には、14対28個の「時」がありますが、これらはすべて「点的な時・エート / עֵת」です。

しかし考えてみますと、対になっているその2点の間は、すべて「時間」なのです。植える時と抜く時の間は「時間」です。「愛する時」を持っていた2人が、何らかの要因により「憎む時」を有するようになる。その間は「時間」でしょう。つまり、「何事にも時(ゼマーン / ז‏ְמָן=長さのある時)がある」なのです。

そしてさらに考えてみますと、「植える時・抜く時」という対句を例に取れば、抜いた植物から取った種をまいて苗を育て、また植えるというように、これらの対句は、無限に循環を繰り返していることも分かります。「時間」からさらに「無限」へと、時は広がっていくのです。

第4回で書かせていただきましたが、コヘレトはこの「無限」という概念を知っていたと思います。1章3~11節には、太陽の下における始めから終わりまでという「無限の循環」についての観察がなされ、無限の循環を表している幾つかの句が列記されています。「風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き、風はただ巡りつつ、吹き続ける」(6節)、「川はみな海に注ぐが海は満ちることなく、どの川も、繰り返しその道程を流れる」(7節)といった句が列記されていました。そしてコヘレトは、この3章においても「無限」について記しているのです。

11節の、ヘブライ語原語のまま記した「ハーオーラーム / הָעֹלָם」を、新共同訳は「永遠」と翻訳し、「(神は)永遠を思う心を人に与えられる」としています。他の日本語訳聖書もだいたい同じです(ただし岩波書店版月本昭男訳は「永遠性」)。しかし私は、人の心に与えられる「ハーオーラーム」とは、太陽の下での始めから終わりまでを示す「無限」と翻訳すべきであると考えています。「ハーオーラーム」は、「永遠」を意味する名詞「オーラーム / עוֹלָם」に、定冠詞「ハ / ‎הַ」が付いた形のものです。第3回でも書かせていただきましたが、ヘブライ語においては、定冠詞は名詞を限定化させます。ここで「永遠」という名詞を、太陽の下という場所に限定化させた場合、それは「無限」でありましょう。

「ハーオーラーム」を「無限」と考えるもう一つの理由は、前述した「集中構造によって分かる重要なこと」の2つ目、「対称箇所には同じことが書かれているので、分からないときなどは対称箇所を見る」の援用によるものです。「ハーオーラーム」が記されている、Eの対称箇所であるE´を見ますと、「今あることは既にあったこと、これからあることも既にあったこと」とあります。これは1章にある無限の循環を意味している幾つかの句の中の一つ、「かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる」(1:9)とほぼ同じです。つまり、E´には「無限」について観察した結果を示す句が書かれているのです。ですから、このE´の対称箇所である、Eに記されている「ハーオーラーム」の意味するところは、これもやはり「無限」であるということが、集中構造の検討によっても説明できるのではないか、と私は考えているのです。

コヘレト書において、「ハーオーラーム」という語はここで一度使われているだけですが、実は、このハーオーラームの解釈と翻訳はさまざまです。ユダヤ教を代表する哲学者ヘッシェルは、著書『人間を探し求める神』の中のコヘレト書に関する一文の中で、「ハーオーラーム」を「神秘」と訳出しています。「ハーオーラーム」にはその他にも、「持続」「過去」「常に起こる新しい繰り返し」「時空」などの解釈・翻訳があるようです。しかし私は上記の通り、1)「永遠」という名詞に、名詞を限定化する定冠詞が付いていることにより、太陽の下における「無限」を指すものと考えられる、2)集中構造の対称箇所に「無限」を示す句が置かれている、という2点から、「ハーオーラーム」は「無限」であると考え、11節の当該箇所を「(神は)また、無限を思う心を人に与えられる」と解釈します。このことは、紀元前3世紀の人といわれているコヘレトの時代までのギリシャ哲学において、「無限」が論じられていたことと(例えばアリストテレスによって)、関係があるのかもしれません。

しかし、「無限」はあくまでも、太陽の下という場においての始めから終わりまでです。コヘレトはさらに、「それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない」(11節)と続けています。人間は「無限」を思うことはできても、「神の永遠」を見極めることはできないというのです。つまり、太陽の下の無限の外側に、「神の永遠」という、別次元の「時」があることもコヘレトは知っており、「無限」と「神の永遠」を峻別し、「神の永遠」をより高い次元に置いているのです。コヘレトは、「ギリシャ哲学では無限ということが言われているが、ヘブライで信仰されている神ヤハウェは、ギリシャ哲学の思考の枠外の、さらに高い次元におられる方なのだ」ということを語ろうとしているのかもしれません。

コヘレトは3章1節から「時」を語り始め、11節までにおいて、「点的な時」→「時間」→「無限」→「神の永遠」と、山に登るように4つの時を積み重ねてきたのです。そして14節から17節では今度は逆に、「神の永遠」から「点的な時」へと降っていっているのです。このように集中構造によって描かれた山の頂上部分ともいえるクライマックスに、「人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ、と。人だれもが飲んで食べ、その労苦によって満足するのは、神の賜物だ、と」(12〜13節)という、2章の最終部において明らかにされた、あの最も大切なテーマを置いているのです。

なぜそのようにしているかといえば、飲んで食べることを、永遠の神からの賜物、すなわち「神様からのプレゼント」として受け取ることを、コヘレトが本当に大切にしていたからだと、私はそう考えています。(続く)

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※ 10月18日(木)の掲載はお休みとなり、次回第10回は11月1日(木)に掲載します。

◇

臼田宣弘

臼田宣弘

(うすだ・のぶひろ)

1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
関連タグ:臼田宣弘コヘレトの言葉(伝道者の書)
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