コヘレト書を読む(2)「真理の言葉」―修辞法に考慮しつつ― 臼田宣弘

2018年6月21日10時22分 コラムニスト : 臼田宣弘 印刷
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コヘレトは知恵を深めるにつれて、より良く民を教え、知識を与えた。多くの格言を吟味し、研究し、編集した。コヘレトは望ましい語句を探し求め、真理の言葉を忠実に記録しようとした。賢者の言葉はすべて、突き棒や釘。ただひとりの牧者に由来し、収集家が編集した。(12:9~11、新共同訳 / 新共同訳聖書旧約P1048、新改訳聖書P1115、2017版P1154)

前回、1章1節をお読みしました。「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉」。これによって「コヘレト書は伝統的にはソロモン王の言葉集とされていたが、今日の聖書学においては、この書はもっと後代のコヘレトとされるある賢人の言葉集であるといわれている」とお伝えしました。ところでこの1章1節は、コヘレト自身の言葉ではなく、弟子による編集の言葉であるとされています。「エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉」と3人称で書かれていますから、他者によって書かれたことは感じられます。

ところで、コヘレト書は「修辞法」を多用していることが知られています。当該箇所でお伝えすることになると思いますが、3章1~17節は大変綺麗な「集中構造」という修辞法によって書かれています。コヘレト書では集中構造の他にもう一つ、「インクルージオ(囲い込み)」といわれる修辞法も使われています。「文章の最初と最後が対称形になっていて、その間の部分を囲い込んでいる」ということです(ただし、集中構造はインクルージオの1つといえるかもしれません)。

コヘレト書を最後まで読みますと、12章8節で1章2節と同じような言葉が繰り返されていることが分かります。1章2節は「コヘレトは言う。なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」ですが、12章8節は「なんと空しいことか、とコヘレトは言う。すべては空しい、と」です。よく似た言葉です。この2つが対称形となっていて、その間を囲い込んでいるのです。この修辞法が「インクルージオ」と呼ばれるものです。

そうするとどうでしょうか。1章2節と12章8節の外側の言葉も対称形になっていると考えられないでしょうか。私は12章9~11節が1章1節の対称箇所に当たると考えています。これもまたインクルージオ構造となっているのです。ただ、コヘレト書全体の結びの言葉である、その後の12章12~14節は、インクルージオ構造の枠外になると考えられます。

コヘレト書のインクルージオ

´ 1:1 エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。
´ 1:2 コヘレトは言う。なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。

1:3~12:7

B´ 12:8 なんと空しいことか、とコヘレトは言う。すべては空しい、と。
A´ 12:9~11  ・・・コヘレトは望ましい語句を探し求め、真理の言葉を忠実に記録しようとした。・・・

聖書を読む場合、通常は1章1節の次は1章2節を読みますが、インクルージオ構造の場合は、対称箇所を先に読むという読み方もアリです。そう読んだ方が、囲い込まれている部分をより理解しやすくなるのです。ですので今回は、前回の1章1節の次に、対称箇所である12章9~11節を読んで、それから次回の1章2節に進みたいと思います。

この12章9~11節も、1章1節同様、コヘレト自身の言葉ではなく、弟子による編集の言葉であるといわれています。「コヘレトは」と3人称で書き出されていますから、そう読むのが自然でしょう。おそらく1章1節と同じ編集者によるものではないでしょうか。ともあれ、12章9~11節を1章1節につなげて読むならば、コヘレトという人がどういう人であるかを「編集者から説明してもらえる」といえると思います。

新共同訳聖書の12章9節前半「コヘレトは知恵を深めるにつれて、より良く民を教え、知識を与えた」は、翻訳が適切ではないと思われますので、原典に忠実に「コヘレトは知者であった上に、常に民に知識を教えた」と私訳しておきます。コヘレトは知者であったのです。前回書きましたように、コヘレトは、イスラエルがプトレマイオス王朝支配下にあった紀元前3世紀に生きた人であるというのが、今日の聖書学での定説です。アレクサンダー大王が東方遠征により広大な領土を築き上げた後の人です。

エジプトでは、プトレマイオス王朝の首都アレクサンドリアが繁栄していました。アレクサンドリアは、ギリシャ文化が融合された街です。1章7節に「川はみな海に注ぐが海は満ちることなく、どの川も、繰り返しその道程を流れる」と記されている川は、海に注いでいるため、パレスチナの川ではなくナイル川が想定されるとして、「コヘレトはアレクサンドリアに留学経験があったのではないか」とする聖書学者もいます。私もそのように考えています。

いずれにしても、コヘレトあるいはその弟子がギリシャ文化を知っていた可能性は十分にあるのです。ヘブライの書物だけでなく、東西の書物を集め、探求し尽くした知者であったのです。9節後半の「多くの格言を吟味し、研究し、編集した」が、ギリシャの詩人テオグニス(紀元前6世紀末~5世紀前半)の言葉と一致するとの説もあります(関根正雄著作集第5巻444ページ)。もしそうであれば、コヘレトあるいはその弟子がテオグニスを知っていたということです。私は、コヘレト書の中に見られるギリシャ的思想にも関心を持っています。

10節には「コヘレトは望ましい語句を探し求め、真理の言葉を忠実に書き記した」(下線部は私訳)とあります。コヘレトは著述家だったのです。「古今東西の書物を集め、探求し尽くし、真理の言葉を忠実に書き記した」のです。「真理の言葉(複数形)」は、七十人訳(ギリシャ語訳)聖書では「ログース アレーセイアス(λόγους ἀληθείας)」ですが、これはパウロの言う「真理の言葉、神の力によってそうしています」(コリント二6:7)の「真理の言葉(単数形)」と、複数形と単数形の違いはあるものの同じです。私は、コヘレトは古今東西の書物を集め、それらを探求しながら「真理の言葉・神の御業」を見いだし、書き記した人であったと考えています。

11節「賢者の言葉はすべて、突き棒や釘。ただひとりの牧者に由来し、収集家が編集した」。突き棒というのは、飼い主が家畜をつつく棒のようです。釘と共に痛いもののことでしょう。コヘレトが探求した言葉の中には、厳しいものもありました。しかし「ただひとりの牧者」(詩編23編参照)から与えられたプレゼントを、この書の中に見いだしてほしいという、編集者の願いがここには込められているように思えます。

コヘレト書を「哲学の書」と捉える解釈もあるようですが、私はそのようには考えません。この書は「神の言葉の書」です。またコヘレトを厭世(えんせい)主義者と捉える解釈もありますが、そのようにも考えません。世界の厳しい現実と向き合い、呻吟(しんぎん)しながらも、神様から与えられるプレゼントを、喜んで受け取ることのできる人生の素晴らしさを、知っていた人であったと考えています。コヘレトが「真理の言葉」と語る神様からのプレゼントを読み味わっていきたいと思います。

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臼田宣弘

臼田宣弘(うすだ・のぶひろ)

1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。NHK文化センター浜松教室聖書講座講師。「牧師のブログ」で情報発信中。

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