臼田宣弘
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。
本作は、島根県の全寮制高校であるキリスト教愛真高校の1年間を追ったドキュメンタリー映画です。同校は、戦後日本の無教会運動を代表する伝道者・聖書研究者である高橋三郎氏によって設立が提唱され、1988年に開校した学校です。
映画「ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師」が話題となった。映画は、ディートリッヒ・ボンヘッファーの行動を題材としたものである。しかし、ボンヘッファーには膨大な著作があり、彼が絞首刑されるに至る行動は、その著作に裏打ちされている。
本書は、南山大学人文学部教授として奉職されておられる、金承哲(キム・スンチョル)氏によって執筆された著作である。本書はタイトルからも想定されるように、「神学と文体の関係を問い直す試み」を論じた著作である。
本書は1年365日の黙想書として、毎日の聖句とそれに合った祈りの言葉を載せたものです。私は今年から用い始めましたが、まずもって毎朝の黙想に適していると思います。
24回にわたって執筆してきた本コラムも、今回が最終回になります。12章9~14節を読みます。この箇所は、編集者の言葉であるといわれています。その理由は、「コヘレトは」と3人称で書き始められ、一気に最後まで続いているからというものです。
今回は、12章1~8節を読みます。この箇所を読むと頭に浮かぶのが、『讃美歌21』の548番と549番です。この2曲は、メロディーは違いますが、歌詞は同じです。その1~3節を記します。
今回は11章7~10節を読みますが、まず、今までのことを少し振り返りたいと思います。コヘレトの言葉をここまで読んできて、私はこの書の4章以降には、2つの論点があると考えるようになりました。
今回は、10章18節~11章6節を読みます。コヘレトの言葉は、9章11節からペガ(偶発的な事故)が主題となっています。そこでは、ペガは「人の知恵や徳とは無関係に、偶発的に降りかかる打撃」という観点から語られていました。
今回は、10章11~17節を読みます。前々回から、ドストエフスキーの小説『白痴』との併せ読みをしています。今回は、亀山郁夫訳の文庫版の『白痴(2)』、つまりこの小説の第2部から、その6~9章とコヘレトの言葉を併せ読みたいと思います。
映画「ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師」を観て、ディートリッヒ・ボンヘッファー(1906~1945)のことを、もっと知りたいと思った人は多いと思います。そこで、ボンヘッファー入門としてお薦めの3冊を紹介します。
9章11節から「ペガ」についてお伝えしてきました。ペガは、コヘレトの言葉全体が伝える「不条理」という世界の在り方が、「ある時」(ヘブライ語で「エート」)に、一つの出来事として立ち現れる瞬間といえるかもしれません。
明けましておめでとうございます。さて、教会歴では降誕節を過ごしています。日本では、12月25日が過ぎるとクリスマスは既に終わってしまったように思えますが、聖書ではこれからいろいろな人物が活躍する時です。
今回は、9章11~12節を読みます。けれどもその前に、今回との関連で、コヘレトの言葉全体の区切りについて考えていることを記しておきます。今回の箇所は、内容的に前回までの箇所からがらりと変わります。
「ユダヤ人の歴史」という書名の著作は、いくつも存在します。その中で、鶴見太郎氏による本書『ユダヤ人の歴史―古代の興亡から離散、ホロコースト、シオニズムまで』は、日本人によって著された最初の「ユダヤ人の歴史」です。
今回は、9章1~10節を読みます。その前に確認しておきたいことがあります。第13回で、コヘレトの言葉全体の集中構造分析においては、7章25~29節が中核部であることをお伝えしました。集中構造の中核部は、通常は内容的にも中心部になるはずです。
映画は、ディートリッヒ・ボンヘッファー(1906~1945)たちが乗るバスのシーンから始まる。予告編にも出てくるこのシーンは、彼らが最終的に処刑されるドイツのフロッセンビュルク強制収容所に向かうところを映し出したものである。
今回は、8章10~17節を読みます。10~14節は、コヘレトに特徴的な「空」(へベル、私は「儚(はかな)い」という訳を取ります)という語が繰り返されています。ヘベルは、「不条理を生きる人間のありさま」と表現することもできると思います。
本書は、福音派の入門書ではない。米国の福音派が、歴代の大統領とどのように関わってきたかを詳細に伝える専門書である。プロテスタント主流派に身を置く、一介の牧師である私にとっては、自分が学んでおくべき範囲をはるかに超えた内容であったように思う。
今回は、8章1~9節を読みます。私はこの箇所を一つの段落と捉えています。前回お伝えしましたように、8章1節aは、7章23~24節と共に、コヘレトの言葉全体の集中構造分析における中核部(7章25~29節)を挟んでいる言葉です。
今回は、7章23~29節を読みます。第5回で3章1~17節を読みましたが、その際に当該箇所は集中構造になっていることをお伝えしました。実は、コヘレトの言葉は1~12章の全体も集中構造になっているとされます。