新約聖書にも登場するストア派とエピクロス派
ヘレニズム哲学の3大潮流は、ストア派、エピクロス派、懐疑派です。コヘレトがこの内のストア派とエピクロス派を退けていたことを、前回お伝えしました。ところで、新約聖書の使徒言行録17章18節には、「エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、『このおしゃべりは、何が言いたいのか』と言う者もいれば、『彼は外国の神々を宣伝する者らしい』と言う者もいた」とあります。パウロが、エピクロス派とストア派の哲学者たちに相手にされなかったのです。コヘレトの時代から約300年後の出来事ですが、イスラエル人とヘレニズムの哲学者たちの思想が合わなかったという点で、両者は重なっているようにも思えます。
懐疑派について
さて、今回クローズアップするのは、ヘレニズム哲学の3番目の潮流である懐疑派です。コヘレトがこれをどのように見ていたのかを考察したいと思いますが、その前に、懐疑派とは何かについて触れておきたいと思います。
懐疑派はピュロン主義ともいわれ、ピュロン(紀元前360年ごろ~270年ごろ)によって始められ、弟子のティモン(同320年ごろ~235年ごろ)によって継承された思想です。ストア派が知恵を得ることを、エピクロス派が健全な快楽を得ることを幸福の目標にしていたのに対し、懐疑派は「判断保留」という主張をしていました。何かを得ることによって幸福になるかどうかは分からないので、判断を保留するという立場です。
コヘレトの時代よりもずっと後になりますが、紀元後2世紀から3世紀に活動したセクストス・エンペイリコスは、『ピュロン主義哲学の概要』という書を著して、それまであまり明文化されていなかった懐疑派の思想を系統立てて世に伝えています。この書の第3巻16章は「生成と消滅について」と題されており、その114(322ページ)は、存在するものは消滅するとし、全てのものは変化し続けるため、絶対的な本質を持たないとしています。そして、絶対的な本質を持たないが故に、その対象物に対する判断を保留し、確定的な結論を避けることで、無用な精神的葛藤を減らし、平穏を得ることができるというのが懐疑派の主張です。
ヘレニズム哲学の3大潮流の創始者たちの生没年は、以下のようになっています。
- ストア派:ゼノン(紀元前335~263年)
- エピクロス派:エピクロス(同341~270年)
- 懐疑派:ピュロン(同360年ごろ~270年ごろ)
紀元前250年ごろにコヘレトの言葉を執筆したと考えられるコヘレトの少し前の時代です。コヘレトは、ストア派とエピクロス派の主張については拒否し、受け入れなかったのですが、その2つと同時代にあった懐疑派の主張については、それを独自な視点で取り入れているのではないかと私は考えています。今回は2章12~26節を読みますが、その観点を持って読み解いていきたいと思います。
全ての人に死が訪れる
12 また、私は顧みて、知恵と、無知と愚かさを見極めた。王を継ぐ人が、すでになされたことを繰り返すだけなら、何になろうか。13 私の見たところ、光が闇よりも益があるよう、知恵は愚かさよりも益がある。14 知恵ある者の目はその頭にあり、愚かな者は闇の中を歩む。だが私は、両者に同じ運命が訪れることを知った。
15 私は心の中で言った。「愚かな者の運命は私にも訪れる。並外れて賢くなったところで何になるのか。」 そこで、「これもまた空だ」と心の中でつぶやいた。16 知恵ある者も愚かな者と同様に、とこしえに思い起こされることはない。やがて来る日にはすべてのことが忘れ去られる。知恵ある者も愚かな者も等しく死ぬとは、何ということか。17 私は人生をいとう。太陽の下で行われる業は私にとって実につらい。すべては空であり、風を追うようなことだ。
コヘレトの言葉は、紀元前3世紀の人物であるコヘレトが、王に扮(ふん)して書いたといわれています。1章1節には、「ダビデの子、エルサレムの王、コヘレトの言葉」とありますが、この場合の「ダビデの子」というのは、ダビデの直接の子どもであるソロモンを指しているとは限りません。ソロモン王を含む、広くダビデ王朝を継承した王たちの一人と取ることもできます。コヘレトはそれらの王の一人に扮しており、それが必要に応じてソロモンである場合もあるわけです。ちなみに、新約聖書のイエスも「ダビデの子」と言われています。
1章12節においてコヘレトは、「王を継ぐ人」と表現し、ダビデ王朝の末裔(まつえい)の王に自分を重ねているように思えます。ダビデ王朝にはさまざまな王がいました。ソロモンやヨシヤのように賢い王もいましたが、「神の目に悪とされることを行った」と評されている愚かな王たちもいました。コヘレトは「王を継ぐ人」として、「すでになされたことを繰り返すだけなら、何になろうか」と言うのです。それは、賢い王と愚かな王の両方に自分を重ねることによって、知恵あることと無知と愚かさを見極めることでもありました。その見極めにおいて、「知恵は愚かさよりも益があるが、両者には同じ死という運命が訪れる」ことに気付かされたのです。
ここで懐疑派に話を戻しますが、懐疑派は「全てのものは変化し続けるため、絶対的な本質を持たない」と主張していたため、「知恵ある者も愚かな者も、等しく死を迎える」と考えていました。2章15~16節は、これをコヘレトなりにアレンジして受け入れた内容が書かれているように思えます。コヘレトは、ストア派とエピクロス派の主張には距離を置いていましたが、懐疑派の主張には響き合いを持たせていて、それはコヘレトの言葉の全編に通じているように思えます。
ただしコヘレトは、懐疑派の主張の一部には同調していますが、彼らのように判断を保留することはせず、深く考えてきちんと判断を下していることが、コヘレトの言葉の後半部分から分かります。けれども、「死は誰にでも等しく訪れる」ということに関しては、コヘレト自身の思想というよりも、懐疑派の思想を取り入れていたと私は考えています。コヘレトにとってはこのことも、空のことであったのです。
相続
18 私は、太陽の下でなされるあらゆる労苦をいとう。それは私の後を継ぐ者に引き渡されるだけだ。19 その者が知恵ある者か愚かな者か、誰が知ろう。太陽の下で私が知恵を尽くして労したすべての労苦をその者が支配する。これもまた空である。20 私は顧み、太陽の下でなされたすべての労苦に、心は絶望した。
21 知恵と知識と才を尽くして労苦した人が、労苦しなかった人にその受ける分を譲らなければならない。これもまた空であり、大いにつらいことである。22 太陽の下でなされるすべての労苦と心労が、その人にとって何になるというのか。23 彼の一生は痛み、その務めは悩みである。夜も心は休まることがない。これもまた空である。
コヘレトは、遺産の問題に話を進めます。このことは、「死は賢い者にも愚かな者にも訪れる」ということに起因するのでしょうか。ここでコヘレトは、1章3節~4節の「太陽の下、なされるあらゆる労苦は、人に何の益をもたらすのか。一代が過ぎ、また一代が興る。地はとこしえに変わらない」に戻っているようにも思えます。一代が起こり、知恵を得、労苦をするが、そこで得たものは次の代に引き渡されるという循環の思想です。彼は「これもまた空である」としています。ヘブライズムは、循環ではなく、神の裁きに向かう直線の思想だからです。
空ではなく幸せなこと
24 食べて飲み、労苦の内に幸せを見いだす。これ以外に人に幸せはない。それもまた、神の手から与えられるものと分かった。25 この私のほかに誰が食べ、誰が楽しむというのだろうか。26a なぜなら、神は御心に適う人に知恵と知識と喜びを与える。
「循環」「ストア派」「エピクロス派」「懐疑派」と、イスラエルを支配していたヘレニズムの思想を一巡したコヘレトは、これらを「空であり、風を追うようなことである」としています。それは、虚無というよりも、儚(はかな)いということであったと思います。私は、コヘレトがヘレニズムの思想を完全否定しているとは思いません。現に、懐疑派に対しては一定のシンパシーを持っていたと思えます。
しかしコヘレトは、ここで彼が本来足を置いている場所であるヘブライズムに回帰します。24節の冒頭の表現は、新共同訳では「飲み食い」とされていたのが、聖書協会共同訳では「食べて飲み」に変わりました。私個人としては、今回の改訳の中で最も気に入っている訳語です。「飲み食い」では享楽的な印象を与えてしまいますが、そうではなく、たとえささやかであっても良い日々の食事のことを、ここでは指しています。それを、神からのプレゼントとして喜びをもって頂くことが勧められています。
これは、大きな庭園や果樹園をしつらえ、あらゆる果樹を植え、多くの牛や羊の群れを所有し、それらを食べるという栄華の探求よりも幸せなことであったのです。そしてそれは、エピクロス派に対する相克といってもよいでしょう。
このことによって、知恵と知識と喜びは神から与えられるものであることを、コヘレトは改めて確認しました。ヘレニズム哲学、特にストア派は、知恵と知識を自分で得ようとしますが、ヘブライズムでは、それらは神の意志によって与えられるのです。そして、そのようにして神から与えられることが、大きな喜びとなるのです。
裁き主であり支配者である神
26b しかし、罪人には集め、積み上げることを務めとし、それを御心に適う人に与えてしまうからだ。これもまた空であり、風を追うようなことである。
一方で神は、罪人に対しては、自分で得た富を他人に渡されてしまいます。これは、神が裁き主であり、支配者であることを意味しています。コヘレトにとっては、ヘレニズムによる支配も、神に従わないことも空しいことなのです。(続く)
謝辞
今回のコラムの内容に関係していることから、私の出身校である日本聖書神学校の恩師のお三方に、ここで謝辞を述べさせていただきたいと思います。それは、西村俊昭氏、木田献一氏とそのお連れ合いの木田みな子氏に対してです。私が今日このように、「ヘレニズム支配下におけるイスラエル」の視点で、コヘレトの言葉のコラムを書くことができるのは、このお三方に負うところが大きいのです。
故西村氏は、言うまでもなく、日本におけるコヘレトの言葉研究の第一人者でした。西村氏の代表著作『「コーヘレトの言葉」注解』は、コヘレトの言葉を学ぶのであれば、その存在を知らない方はいないでしょう。私もこの本を熟読しています。西村氏の畏友であった故木田献一氏は、西村氏と同じく旧約聖書学の専門家でした。西村氏の知恵文学に対し、木田氏は「神の支配」思想を中心とする預言書についての著作が多い方でした。本コラムは、常にヘブライニズム、特に「神の支配」に、その内容が向かうことになりますが、それは木田神学に向かっていると言っても過言ではないと思います。
木田みな子氏は、聖書学を教えておられた先生ではなく、オルガンの先生でした。しかし、ご尊父は哲学者の有賀鐵太郎氏であり、私はその著書『キリスト教思想における存在論の問題』も熟読しています。この書には、コヘレトの哲学、ヘレニズムとヘブライズムなど、今の私のライフワークとぴったりの論文が満載されています。有賀氏はこの書の中で、コヘレトについて「或(あ)る点についてはストア的とも見え、また或る点についてはエピクロス的と考えられるものがある」(99ページ)としています。私はその論を一歩進めて、「ある点についてはストア派を、またある点についてはエピクロス派を、脇に見つつも相克している」という観点で、コヘレトの言葉の学びに取り組んでいます。この書は、みな子氏のご尊父の著書であるが故に、関心を持って読み始めた一冊であり、そこから大きな示唆を与えていただいています。
私の牧師人生は、みな子氏に教えていただいた教会音楽の方向には、残念ながら向かいませんでした。そこは、今もお元気でオルガンを弾いておられるみな子氏には言いにくいところではあります。しかし、今このように、「ヘレニズム支配下におけるイスラエル」の視点でコヘレトの言葉を読むことをライフワークにできているのは、上述のお三方に負うところが大きく、心より感謝を申し上げたいと思います。
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