臼田宣弘
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。
1961年栃木県鹿沼市生まれ。80年に日本基督教団小石川白山教会(東京都文京区)で受洗。92年に日本聖書神学校を卒業後、三重、東京、新潟、愛知の各都県で牧会。日本基督教団正教師。2016年より同教団世真留(せまる)教会(愛知県知多市)牧師。
57回にわたって連載してきました本コラムも、今回で最終回となります。今回はエフェソ書6章21~24節を読みます。エフェソ書の「あとがき」の部分です。最初に21~22節を記載します。
2019年9月から始まった本コラムも、今回を含めてあと2回で終了します。今回はエフェソ書6章10~20節を読みます。「神の武具を身に着けなさい」が2度繰り返され、勇壮な趣のするこの箇所は、さまざまな「武具」が並べられています。
今回は、私がその著者をオネシモと考えているエフェソ書の6章1~9節を読みます。この箇所は、前回お伝えしました5章21~33節と共に「家庭訓」といわれています。エフェソ書の家庭訓は、コロサイ書3章18節~4章1節のそれに倣っているとされます。
今回はエフェソ書5章21~33節を読みます。この箇所は、コロサイ書3章18~19節の「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない」を基にして書かれているとされています。
今回はエフェソ書5章6~20節を読みます。8節は、本コラムで繰り返してお伝えしている「以前(ポテ)~・今(ニュン)~」構文です。この構文は、フィレモン書、コロサイ書、エフェソ書を貫く大切なものであると私は考えています。
今回はエフェソ書4章25節~5章5節を読みますが、この箇所は旧約聖書の十戒と関係が深いので、最初にそれを提示します。
今回はエフェソ書4章17~24節を読みます。17節の「異邦人」は、神を信じていない人々を意味しています。17~19節を読みますと、神を信じていない人々を愚弄しているようにも感じてしまいます。
今回はエフェソ書4章7~16節を読みます。8節で詩編68編19節が変更引用された後、キリストの降下と再昇天が記され、そのキリストが「ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされた」(11節)となっています。
今回はエフェソ書4章1~6節を読みます。ここには特に、ユダヤ人と異邦人が混在する教会の一致についての勧めが記されています。1節に「主に結ばれて囚人となっている」とありますが、これは3節の「平和のきづなで結ばれ」と対応しているように思います。
今回は、エフェソ書3章14節から21節を読みます。この箇所は祈りです。そのうち14~15節が導入、16~19節はとりなしです。原文では、14~19節はピリオドが最後にしかない、ひとつながりの文になっています。
今回は、エフェソ書3章8節から13節を読みます。前回、「秘められた計画」がエフェソ書執筆よりは少し前に、使徒や預言者に啓示されたことをお伝えしました。
今回は、エフェソ書2章19節から3章7節を読みます。前回、「エフェソ書は教会論を述べている」とお伝えしました。教会を表現する場合、1章22~23節においてはキリストの体とされていました。今回の箇所では、教会を建物に例えています。
今回からエフェソ書の本文に入ります。ここでは「教会とキリストの奥義」ということが論じられ(2:11~3:13)、祈りと頌栄によって文が結ばれています(3:14~21)。今回は「教会」について記されている2章11~18節を読みます。
今回は2章1~10節を読みます。この箇所には、フィレモン書とコロサイ書を貫通する「以前(ポテ / ποτέ)~・今(ニュン / νῦν)~」構文と「善い業(アガソス / ἀγαθός)」が見られる箇所です。
今回はエフェソ書1章15~23節を読みます。これだけ長い文章ですが、原文では19節の終わりに読点が一度打たれているだけです。内容的には、ひとまとまりになっているとしてよいと思います。
今回はエフェソ書1章11~14節を読みます。神を頌(たた)えることを意味する「頌栄」の色合いが特に強い箇所で、「神の栄光をたたえる」という言葉が繰り返されています。
今回はエフェソ書1章7~10節を読みます。ここは日本語訳では幾つかの文に分かれていますが、原文ではひとつながりの文になっています。7節に「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました」とあります。
本コラムは「フィレモン書―コロサイ書―エフェソ書」が「パウロ―フィレモン―オネシモ」というライン上にあり、そのつながりで3書を読むことを目指しています。そういう観点で、これからはエフェソ書を読んでまいりたいと思います。
2回にわたって、先人の研究を基にエフェソ書オネシモ著者説をお伝えしてきましたが、今回は私が考えている、エフェソ書の著者がオネシモである2つの理由を述べたいと思います。
今回は、エドガー・ジョンスン・グッドスピード(1871~1962、米国)と、ジョン・ノックス(1900~1990、米国)、C・L・ミトン(1907~1998、英国)の説を取り上げたいと思います。