バチカン(ローマ教皇庁)教理省は2日、聖ピオ十世会が教皇レオ14世の意向に反して司教の聖別(叙階)を行ったことを受け、聖別式を執り行った司教2人と、新たに司教として聖別された4人の計6人について、破門を宣告する教令(イタリア語)を発布した。教令は、この聖別を「シスマ(離教)的な行為」だとし、聖職者や信徒に対して、こうした動きに加われば自動的に破門になると警告した。
同会は1日、スイス南西部エコンにある同会の神学校の敷地内で、教皇の承認を得ないまま、司祭4人を司教に聖別した。主司式者はアルフォンソ・デ・ガラレータ司教、共同司式者はベルナール・フェレイ司教で、両司教は同会に残された最後の司教だった。
新たに司教に聖別されたのは、スイス人1人、米国人1人、フランス人2人の計4人。米ナショナル・カトリック・リポーター紙(英語)が主催者発表として伝えたところによると、屋外で行われたミサには、成人だけで約1万6600人が参列した。
今回の司教聖別の計画は、同会のダビデ・パリアラーニ総長が2月、初めて公にした。同会の発表によると、パリアラーニ氏は、昨年8月からレオ14世への謁見を求めてきたが実現せず、バチカンから届いた書簡も要請に応えるものではなかったと説明。「霊魂が置かれている客観的で深刻な緊急事態」を踏まえて決めたと述べていた。
バチカンはこの計画に対し、繰り返し反対の意を表明してきた。聖別式を直前に控えた6月29日には、レオ14世がパリアラーニ氏に宛てた書簡(英語他)で、「キリストの縫い目のない衣を裂くことは、極めて重大な罪」として、翻意を促した。
これに対し、パリアラーニ氏は翌30日、レオ14世に宛てて書簡を送付。離教の意図はないことを説明した上で、同会に関する決定の前に識別の時間を取るよう求めたが、司教聖別の中止には言及しなかった。
教令に付された注記(イタリア語)は、同会に所属する聖職者は離教者と見なされ、破門の対象になると説明。信徒についても、同会に「正式に所属する」者は離教者と見なされ、破門されると宣言した。また、同会の司祭が授ける「ゆるしの秘跡」や、同会の司祭が立ち会う結婚は無効であるとした。
教理省はその後、同会を離れる人々の受け入れ手続きに関する文書を世界の司教らに送った。バチカン・ニュース(英語)によると、文書では、信徒への破門の適用は自動的に推定できず、個別に判断されるべきものだと説明。破門が適用される例として、同会の第三会(在俗信徒の会)に属する信徒や、同会のミサに習慣的に参加し、その教理上の立場を正式に共有する信徒を挙げている。
破門宣告を受け、パリアラーニ氏はレオ14世に宛てた書簡(3日付)で、今回の決定はカトリック教会が置かれた悲劇的な状況を改めて示すものだと主張。同会の活動は教理的・道徳的な混乱の中で霊魂の救いのために行われているものだとし、カトリック教会に取って代わる意図はなく、教会に忠実であり続けること以外の野心は抱いていないとした。
その上で、パンや魚、卵を求める子に、石やへび、さそりを与える父親はいないというルカによる福音書11章の例えを引き合いに出し、同会の求めに対して返ってきたのは、石やへび、さそりだったと批判した。
一方、破門は「客観的に見て不当であり無効」としながらも、「苦々しさや反抗心をもって受けることはない」と表明。断罪は教会への愛着に打撃を与えるものだが、この試練による苦しみを教会の善のため、また教皇自身の善のために喜んでささげるとした。
聖ピオ十世会は、第2バチカン公会議(1962〜65年)に伴う典礼・教理上の改革に反対したマルセル・ルフェーブル大司教が70年に創立した。88年にも教皇の承認を得ずに、司祭4人を司教に聖別したことで、ルフェーブル大司教ら6人が破門された。一方、2009年には、教皇ベネディクト16世(当時)が、6人のうち存命だった司教4人の破門を解除。その後もバチカンとの対話が続けられ、15年には教皇フランシスコ(当時)が同会の司祭による「ゆるしの秘跡」を有効と認めるなど、関係修復に向けた歩み寄りも見られた。


















