本書は、カトリック信徒の袴田巌(はかまだ・いわお)さんが起こしたとされていた強盗殺人放火事件(袴田事件)について、事件が発生した1966年から、再審で無罪が言い渡され静岡地検が上訴権を放棄した2024年10月9日まで、また事件からさかのぼって巌さんと姉ひで子さんの少年少女時代に至るまでを、共同通信編集委員の藤原聡氏がまとめたものです。共同通信から全国の新聞に配信された連載記事「姉と弟 袴田巌さん無罪への闘い」(全30回)が基になっています。
本書には、巌さんが逮捕・起訴され、地裁と高裁で死刑が言い渡され、1980年に最高裁で死刑が確定した後の1984年12月24日、東京拘置所で教誨(きょうかい)師をしていたカトリック関口教会の故志村辰弥神父から洗礼を受けたことが記されています。逮捕時30歳だった巌さんは、当時既に48歳になっていました。巌さんの洗礼前後の心境が、次のようにつづられています。
「私がカトリック者として生きる決意を固めた理由は幾つかあるが、それを一口で言えば、人間として絶対に正しく生きてゆける道がそこにあるからである。古今東西、宗教が人間を支えた部分は大きい。それは謙虚な気持ちで合掌し、信ずるものを得るところに大きな救いがあるからだ」(洗礼前)
「洗礼の妙、幸福の永生、始めて燃えあがる真の生命、輝く星花を感激に満ちて凝視したのである。この時こそ正に私にとって新鮮な歴史が開花する瞬間であった。いや、歴史だけではない、キリストの福音にあって勝利と誉れを歌いあげる天上の予感であった。予感だけでもない。精彩を放ってあたかも勝利を組み立てる芸術者たる、神を拝む心地よい感動の極致であった」(洗礼後)
また、来日したローマ教皇フランシスコが2019年11月25日に東京ドームで執り行ったミサに、当時まだ死刑囚でありながらも釈放の身にあった巌さんが、ひで子さんと共に出席したことも伝えられています。
巌さんについては、キリスト教界からも1992年に『主よ、いつまでですか』という本が出版されています。この本を読んだ猪野待子さんが、巌さんの釈放後、巌さんとひで子さんの最も心強い支援者となったことも伝えられています。
本書は、事件当日からの出来事を日付入りで克明に伝えています。私がこの事件を知ったのは、巌さんの死刑確定後であったと思います。しかしこれまで、時系列に沿って事件を正確に捉えることはしていませんでした。しかし今回、本書を読みながら、事件発生時に自分は5歳であり、その後の公判やそれぞれの判決についても、「その時はこんなことをしていたな」と、自分の人生と重ね合わせながら事件の経過を追うことができました。
事件が発生した1966年はビートルズが初来日した年で、大相撲では柏戸(かしわど)と大鵬(たいほう)が全盛の「柏鵬(はくほう)時代」を迎えていたときでした。私はどちらも記憶にありません。私の人生において記憶がある期間以上の長い年月を、巌さんとひで子さんは闘ってこられたのだと思いました。
また、巌さんに死刑判決が下された後、それが維持され、再審でも訴えが棄却され続けた最も大きな理由は、「警察がそんな大それた捏造(ねつぞう)をするはずがない」という司法関係者の思い込みにあったことを実感させられました。再審で無罪を勝ち取ることができたのは、事件を扱った裁判官たちがその意識を変えることができたからだと思わされました。
袴田事件の第1審担当判事で、無罪の心証を持ちながらも、裁判長ともう一人の判事の判断に従って死刑を言い渡した熊本典道氏の無念な思いと、真実な告白、巌さんとの50年ぶりの対面も克明に記されています。
本書は、真犯人が誰であるかをほのめかすことによって閉じられています。この点が今後どうなるのか、注目していきたいと思います。
巌さんの人生とその時々の思い、ひで子さんの巌さんへの愛情、支援者たちの活動、特に元ボクサーであった巌さんを一貫して支えてきたプロボクシング界の気概、冤罪(えんざい)がなぜ起きてしまうのかなど、得ることが多い一冊でした。著者の藤原氏と共同通信のご尽力に、敬意を表させていただきます。
価格は税込み2200円と手頃で、内容は値段以上に濃いものとなっており、購読をぜひお勧めします。
■ 藤原聡著『姉と弟 捏造事件の闇「袴田事件」の58年』(岩波書店、2024年11月)
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