こころの手帳(14)生きる意味―フランクルの実存療法― 浜原昭仁

2015年7月30日08時36分 コラムニスト : 浜原昭仁 印刷
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極限状態での治療法

ビクトール・フランクルという精神科医をご存じでしょうか。ウイーンで生まれ育ち、4歳の頃にすでに「いつかは僕も死ぬ。そうなれば僕が生きている意味とは何だろう」という疑問を持ったといいます。ウイーン大学卒業後、第二次世界大戦が起こり、ユダヤ人であったためにアウシュビッツ収容所に収容され、両親と妻を失いました。その時の体験を「夜と霧」という手記で書き記しています。毎日死が迫っているという極限状態の中でも、彼のロゴテラピー(実存療法)という治療が役に立ちました。

ロゴテラピーでは、人間は心の奥底に「私は意味ある人生を送りたい」という願望があるといいます。すなわち、生きる意味を見つけられないと、心のむなしさを感じるのです。これから逃れるために、多くの人は仕事に遊びに多忙な日々を送り、絶えず刺激と快楽を求めています。

一方、人間は自分に与えられた現実や運命に対して「自ら選んである態度をとることができる」のです。逆に言えば、自己決定に対する責任を持っているのです。人は不幸な出来事によって不幸になると考えている人が多いですが、実は違います。正確に言えば、その人が「その出来事を不幸だと思う」から不幸になるのです。

心の態度

たとえ悪いことが起こっても、ある人たちは、「これは自分を鍛えるための試練だからがんばろう」、あるいは「悪いことの後にはきっと良いことが待っているに違いない」と考えて、落ち込まないこともできるのです。その違いは心の態度にあるのです。すなわち、「自分が何をしたいか」と自分の欲望に焦点を当てるのではなくて、「自分は人生で何を求められているか」と視点が変わる時に、人は役割と意味を見出して癒やされていくのです。たとえば、自分を待っている、期待してくれている人がいるとか、あるいはやり遂げなければいけない仕事があれば意味を見出しやすいのです。そして「なすべきことをやった」と思えるとき、むなしさが消えます。

うつ病などの心の病を負うと、自分に価値を見出せなくなってしまいます。病気そのものも苦しいのですが、ニーチェが言っているように、問題は苦しみ自体にではなく「なぜ私だけがこんなに苦しむのか」という質問に答えがないことにあります。そもそも病や障害に、自分にしかできない精神的価値を見出すということができるのでしょうか。

これに対して、フランクルは治療したある末期がんの看護師にこんなアドバイスをしています。「あなたが一日8時間あるいはそれ以上働くということは、とりたてて立派なことでもないが、不治の病気になって働きたくても働けず、それにもかかわらず、絶望しないことこそ、誰にも簡単にはまねのできない本当の業績である」

彼女は、その一週間後に亡くなりましたが、彼女にしかできないユニークな働き、すなわち死を恐れず威厳と感謝をもって死に臨み、その態度によって周りの人たちを励ますという機会を与えられ、本当の人間の姿を示すことができたといいます。

人間はむしろ、人生から問い掛けられている者であって、人生に答えなくてはならないのです。人生の各々の状況には、その時その人によってしか実現し得ないチャンスが必ず潜んでいて、その人に見出されて実現されるのを待っています。

「私にしかできない、今しかできないことがここにある」。そのことに気が付くとき、いたずらに流れていた時間が、突然鮮やかな色を放ち、素晴らしい意味をはぐくんでくるのです。たとえあなたが人生に何も期待していなくても、人生の方は、まだあなたに期待しているはずです。

神様は、あなたにこの人生で何かをさせるために目的を持って造られました。心の病気という苦しみも、その目的を見出すために、神様があえて許された試練かもしれません。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11章28節)

しばらくは、何も考えず神様のもとでゆっくり休んでください。どうにもならない問題があっても、脱出の道が必ず備えられていて、時が来れば解決され、癒やされます。その時あなたは、前の自分に戻りますか。そして同じことを繰り返しますか。それとも人生の意味を発見して、新しい自分に生まれ変わるでしょうか。

人生の目的

それでは、人は何のために生きるのでしょう。たいていの人は、物やお金が十分に満たされると幸せになれると信じています。そして、自分が欲しいものを手に入れるまでは満足できないのです。

ある人たちは、十分に愛されたと感じられないので、より簡単な方法で快楽を求めてしまいます。たとえば、アルコール、タバコ、ギャンブル、行きすぎた買い物など。これらすべては一時的な気持ちよさを与えますが、後に大きなむなしさがやってきます。徐々に強い刺激を求め、そのとりこ(奴隷)となって、やめようと思ってもやめられません。それを依存症と言います。

多くの人たちは自分を見捨てられた者だと感じています。見捨てられたと感じるとき、不安になり、物や異性によりどころを求めるのです。それは、十分に甘えられなかった母親や父親の代わり(代償)です。

「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」(ヨハネ4章13、14節)

最初に出てくるこの水とは、この世にあるあらゆる欲望を指しています。そういう物はどれだけ手に入れても決して満足できません。これに対して、イエス様が与える水は、心の本当の喜びをもたらし、生きる力を与えてくれます。それは、あなたがこの地上において自分自身の存在の意味を見出し、希望と満足感を持って生きるようになるためです。

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浜原昭仁

浜原昭仁(はまはら・しょうに)

金沢こころクリニック院長。金沢こころチャペル副牧師。1982年、金沢大学医学部卒。1986年、金沢大学大学院医学研究科修了、医学博士修得。1987年、精神保健指定医修得。1986年、石川県立高松病院勤務。1999年、石川県立高松病院診療部長。2005年、石川県立高松病院副院長。2006年10月、金沢こころクリニック開設。著書に『こころの手帳―すこやかに、やすらかにー』(イーグレープ)。

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