聖ニコラスの生涯
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(35)テサロニケでの再会
エーゲ海に面したテサロニケは、ミラよりももっとにぎやかな港町であった。町の中央広場には多くの人が行き交っている。海側から北西に向かって細い路地が伸びており、そこをたどっていくと、再建途中の教会堂があり、中から賛美の歌声…
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(34)教会も、町も生まれ変わる
こうして「ミラノ勅令」が発布されて、キリスト教が公認されると、各地に散らされていた聖職者たちは、自分の区域の教会を再建するために帰ってきた。弾圧を逃れて寂しい土地に行き、洞窟や墓地などに身を潜めていたクリスチャンたちも…
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(33)これにて勝て!
ここはローマ郊外の野戦地である。戦いの準備万端を整えたローマの軍勢がいよいよ出発を始めた。先頭に立つのは、西ローマ帝国の副帝であり、軍隊の総指揮官をも務めるコンスタンティヌスだった。夜通し悶々(もんもん)として彼は…
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(32)コンスタンティヌスの悲願
紀元311年。ディオクレティアヌスのあとを継いで東ローマ皇帝となったガレリウスが死ぬと、代わりの皇帝がなかなか決まらず、帝位は空席のままになっていた。そこで、西ローマ皇帝のリキニウスが東西併せて支配することになり…
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(31)夢の中での再会
紀元305年。突然ローマ帝国の政治情勢に変化がもたらされた。――というのは、西ローマ皇帝マクシミリアヌスと東ローマ皇帝ディオクレティアヌスはそろって引退を表明し、政界から身を引くことになったのである。
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(30)歴史の振り子
紀元303年も終わろうとするある日。ディオクレティアヌス帝から4番目の勅令が出された。これは最も過酷な勅令であって、「告訴されなくても、キリスト教徒らしいとうわさされるだけで追跡し、逮捕し、直ちに拷問にかけるべし」と…
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(29)獄を照らす光
暗闇の中で目が慣れてくると、獄の中にたくさんの囚人がいることが分かった。皆、絶望しきって、頭を抱えたり、世の中を呪う言葉をつぶやいたりしている。クリスチャンはほぼ2、3人しかいなかった。ニコラスは、彼らと一緒にいられる…
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(28)ニコラス司教逮捕される
キリスト教を根絶するために、ディオクレティアヌス帝から第二の勅令が出された。今度は市民に対してではなく、それぞれの県や州に宛てたもので、司教や司祭、助祭といった聖職者を見つけ次第逮捕し、投獄せよという内容であった。
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(27)希望のかけらも残らずに
ニコラスは、がれきの山を踏み越え、北に向かって歩いた。歩くたびに少年時代のこと、あの素晴らしい誕生パーティー、優しかった養父母や執事のアルキポ、料理長トロピモや家政婦スントケが作ってくれたおいしい料理が思い出され、胸が…
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(26)故郷の没落
こうして、ニコラスとアペレは親切なパン屋のクロエの所にかくまわれ、平穏に日々が過ぎていった。二人はクロエが貸してくれた白い上着と帽子を身に着け、毎日せっせとパンを焼き続けていた。ここに来てからというもの、すっかりアペレ…
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(25)キリスト教禁止令
ローマ軍兵士は、土台も残らないほどに教会堂を破壊し尽くすと、その場を立ち去った。それから程なくして、町のつじには政府からの通達が掲げられた。今までこれほど厳しい禁止令が出されたことはなかった。
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(24)折れた十字架
紀元303年2月24日のこと。突然、ローマ帝国によるキリスト教禁止令が発布され、ミラの町にもローマ軍兵士がやって来た。そして教会の石垣を崩し、崩れた壁の間から礼拝堂になだれ込んだ。この日は、聖職者会議がこの教会で持たれ…
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(23)難破船の奇跡
紀元298年の秋。地中海方面からアレクサンドリアを経由する一隻の帆船があった。その船には船長を含む8人の船員が乗っており、次の港ミラを目指していた。船長のテキコはしきりにニコラスの話をして言うのだった。
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(22)小麦配給の奇跡
それから1週間後のことだった。小麦を巡ってさらなる奇跡がニコラスの上にもたらされたのだった。その日は午後から、にわかに天候が荒れ、やがて暴風雨がやって来た。その時、アレクサンドリアの港から、小麦を積んだ6隻の船がこの…
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(21)アデオダートスと再会する
その翌年の紀元296年。またしても前年を上回るほどの大きな飢餓が押し寄せた。ニコラスは相変わらず助祭のシメオン、長老のユスト、そしてアペレと共に死者の埋葬という務めと病人の介護に追われていた。
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(20)飢餓の到来
紀元295年――それはニコラスが司教に就任してちょうど5年目のことだった。未曾有の大飢餓がルキア地方を襲った。あたり一面、目につくものは乾いてひび割れた土ばかりで、人々は雑草を全て掘り返して食べ尽くした。
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(19)パタラからの悲報
ニコラスが教会に帰ると、教会堂の中にはまだアペレとサラが翌日の教材を準備するために残っていた。「おや、まだ仕事をしているのですか。そろそろ切り上げてお帰りなさい」。ニコラスは2人に声をかけた。サラは台所に行ったかと思う…
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(18)ニコラスのパンケーキ
ニコラスが司教となって1年ほど経過した。ようやく司教職も身に付き、彼は重責を負いつつ、職務を全うしていた。この頃にはアペレも、ミラに出てきた親戚の者に稼業を託し、自らはサラという女性信徒と一緒に「子どものための聖書…
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(17)星が光る晩に
こうして思いがけない運命に導かれるようにして司教となったニコラスは、亡くなった前任の司教が行っていたことをそのまま引き継いだが、それに加えて子どもへの伝道と読み書きを教えることに力を注いだ。
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サンタ・クロースと呼ばれた人―聖ニコラスの生涯(16)ニコラス司教の赤い服
その翌朝。シメオンやユストをはじめとする長老たちと羊飼いのアペレは、夜明け前から教会にやって来て、聖餐式の準備をし、祭壇を飾った。この日は日曜日で聖日だったのである。それから、彼らは入り口の扉の前に立ち、門のあたりに目を凝らした。
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