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正木弥 正木弥 (まさき・や)  

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

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正木弥

なにゆえキリストの道なのか(126)それにしても、人生はどうしてこうも苦しみが多いのか 正木弥

人は大体いつも何らかの苦しみを持っていて、その合間に、あるいは並行して楽しい時を与えられているように思われます。楽しみも多いけれど苦しみの方が多いように思いますが、いかがでしょうか。

2018年01月20日11時34分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(125)人生の苦悩、不幸の原因は何か 正木弥

神を信頼し、お任せして耐えることが大切です。いつか分からせてくださる時が来るでしょう。仮に分からなくても、そのようにして神を愛して生きるなら、神は、そのような人のためにすべてのことを働かせて益になるようにしてくださいます。

2018年01月13日7時47分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(124)人生はどうして苦が多いのか 正木弥

以上は現代人のポピュラーな苦しみです。どれ1つとっても、大きな苦しみです。これ以外にも悩み、苦みは実にたくさんあります。ある人が数えたら783(なやみ)あったそうです(笑)。

2018年01月06日6時53分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(123)キリストの復活は証明できるか 正木弥

もし死体があったら、イエスの復活を否定したい人々(祭司、律法学者、ヘロデ党の一味)は「死体はここにある」といって吹聴したでしょうが、それをしたという記録はありません。つまり、どこにもなかったのです。

2017年12月23日17時16分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(122)イエスの奇跡は本当なのか 正木弥

イエスの奇跡は幾つかに分類されますが、基本的には、イエスが神様でもありますから、人間に分からない何らかの方法で奇跡をなし得たわけです。どうしても信じられない方のために、「あり得るかもしれない」という方法の1つを考えてみましょう。

2017年12月16日12時35分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(121)非科学的なことをどうして信じる? 正木弥

神は天地を創造した全能な方。その初めに、土地のちり(地上の小さい物質)で人間の体を造り、命の息を入れた方です。その過程では、私たちの想像もつかないようなさまざまな工夫や精妙な知恵がこらされ、実にうまくできた体を創り上げてくださったのです。

2017年12月09日7時25分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(120)クリスマスは異教的? 正木弥

クリスマス(キリスト降誕記念祭)の日付については、3世紀初めアレキサンドリアのクレメンスが5月20日を推定し、この日を中心に4世紀後半以降、毎年祝われるようになりました。

2017年12月02日8時48分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(119)イエス・キリストはエッセネ派の「義の教師」ではないのか 正木弥

エッセネ派とは、中間時代(旧約聖書の終わりの頃からキリストまでの間の時代)でサドカイ派、パリサイ派に次ぐ第3の宗教勢力でした。しかし、その詳細はなお謎の部分があります。

2017年11月25日6時29分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(118)キリストは2千年前の人、私に関係がない? 正木弥

キリストは、2千年前に単に生きた人ではありません。キリストは人類の救いのために(2千年前、この地上に来て)死に、そして復活しました。キリストはその後、天に昇られ、今は神の右におられ、全世界の歴史を導き、一人一人の人生を見ておられます。

2017年11月18日6時23分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(117)イエスは神なのか? 正木弥

イエス・キリストは人の罪を背負って死ぬために、死ぬことができるよう、人間の体を持って生まれてきました。しかし、単なる人間でなく裏に神がついている方でしたから、その神性の故に復活させられたのです。キリストの復活は、キリストの神性の証拠です。

2017年11月11日7時17分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(116)なぜ信じなければ罪が赦されないのか 正木弥

「信じる」とは、自分の罪がキリストの十字架刑において代わりに罰されたということを信じ、受け入れることです。自分が受けるべき罰をキリストが代わって受けてくださった、ということを認め、信じ、感謝することです。

2017年11月04日5時42分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(115)どうしてそんな死に方をしなければならなかったのか 正木弥

十字架刑は、ローマ帝国下の非ローマ市民に対する死刑のやり方で、残虐なものでした。これはキリストだけでなく、多く実施されていたもので、現にイエスの両横に犯罪人が十字架刑にかけられていました。

2017年10月28日5時47分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(114)キリストが神であったなら、十字架から逃げられたではないか 正木弥

その通り、逃げられました。しかしそれでは、人は自分の罪について罰を受けて滅びなければなりません。このような人間存在を憐(あわれ)んで、神は愛である故に逃げずに、十字架刑を受ける道を選び取ってくださったのです。

2017年10月21日7時35分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(113)キリストは殺されたのに、どうして人を救うことができるのか 正木弥

キリストは単に殺されたのではありません。殺されるような道をわざわざ選んで行って、そして予期した通り殺されたのです。それは、旧約聖書の中に預言されていた通りでした。

2017年10月14日5時20分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(112)神とキリストとの違いは何か 正木称

「神」とは、三位一体の神を指しています。時には、その第一位格である父なる神を指している場合もあります。これに対してキリストとは、「救い主」の意味ですが、歴史上かつて1度だけ、父なる神から離れてこの地上に来られた「子なる神」を意味します。

2017年10月07日5時22分

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