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正木弥 正木弥 (まさき・や)  

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

記事一覧

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(214)旧約聖書はキリスト以前の経典だから“いらない”? 正木弥

旧約聖書はそもそもの土台です。天地の初め・人間の初め・罪の初め・民族のはじめ・国の初め、そしてさまざまな失敗、堕落と回復が書かれています。その上に新約聖書があるのです。旧約聖書と新約聖書は有機的に結びついています。

2019年09月28日11時38分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(213)聖書は簡単に言えば何を教えているのか? 正木弥

主なことは4つにまとめることができます。1)神がいる、ということ。2)神が人を造ったということ。3)神が(イエス・キリストとして)この世に来られたということ。4)神が(聖書において人類のすべてに)語り掛けたということ。この4点です。

2019年09月21日11時20分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(212)奇跡を見れば信じる? 正木弥

神様は、人間の好奇心を満たすために働かれるのではありません。奇跡は、人間をその必死の信仰によって救うために、あるいは、神の愛・正義・全能の力を貫徹するために、あるいは神のことばの真実であることを明らかにするためになされるのです。

2019年09月14日21時53分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(211)奇跡はどうして現代に起こらないのか? 正木弥

聖書の時代は前後1500年、その間に仮に150の奇跡があったとすれば、10年に1つです。現代この広い世界に10年に1つしか起こらなければ、あなたの人生80年であっても一生の間に1つの奇跡にも出会えないでしょう。

2019年09月07日17時37分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(210)お前は奇跡を体験したことがあるのかと問われると・・・ 正木弥

イスラエルの民がヨルダン川のエリコの前面で、流れを前にしているとき、「やがて水が枯れ、乾いた地を渡るように民も契約の箱も渡ることができる」と預言し、その通りになったのは奇跡であったと言うべきでしょうか。

2019年08月31日21時49分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(209)非科学的なことが書かれているので、聖書は信じられない? 正木弥

今の科学ですべてを分かり尽くしているのではありません。ですから、今の科学を根拠に「あり得ない」と断定することは慎重であるべきです。あり得ないと思われたことが、あるとき・ある状況で・ある事案であり得たというのが奇跡です。

2019年08月24日18時39分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(208)聖書はそんなに素晴らしいのか? 正木弥

そう、実に素晴らしいのです。人間が生きる場合の霊的、体験的、社会的真理の奥深いところ。歴史を通して、人間が、民族が、国がとるべき指針。確かな基準、豊かな価値観。

2019年08月17日20時12分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(207)聖書は原本が残っているのか? 正木弥

著者が書いたもの(そのもの)は原本といいますが、それは残っていません。原本から書き写した「写本」が多数残っています。旧約聖書は、そうした多数のヘブル語写本からさらに多数の写本が作られました。そのほか、古代の翻訳本も重要です。

2019年08月10日23時20分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(206)聖書は誰が、いつ頃書いたのか? 正木弥

著者により主要部分が書かれた後間もなく、締めくくりとか後書きとかが後継者によって補足されるということはあり得たでしょう。また、著者の身近にいて筆記した者が別にいたこともありました。

2019年08月03日23時02分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(205)聖書は人間が書いたのに、なぜ神の言葉だと言うのか? 正木弥

聖書を物理的に人間の言語で書いたのは人間です。しかし、その内容は神の考え・思想・知恵・教えであり、語り掛けであるということです。それを、神はある特定の人に霊感で示し、的確に書かせ、編集もするよう仕向けたということです。

2019年07月27日20時55分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(204)聖書が作り話でなく真実の書だとどうして分かるのか? 正木弥

第一に、一般の歴史的記録と符合することです。ほんの一例にすぎません。BC853年のカルカルの戦いは楔形文字で記録されていますが、聖書列王記で出てくるアハブ王の活動と合致します。

2019年07月20日18時26分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(203)神はどうして戦争をやめさせないのか? 正木弥

神は、昔の特別の時期(カナン定着期、カナン原住民のあまりの不道徳から神の民を守るための例外的処置として戦いを勧めましたが、)これを除いて、戦争をやめるよう、平和に生きるよう、繰り返し勧めています。

2019年07月13日7時16分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(202)どうしても愛せない人がいる、どうすればいいか? 正木弥

人は、互いに生い立ちや生活環境が違い、身体状況も違い、その他諸々の事情が違います。まず、「違う」ということを大前提に置いておかなければなりません。ここから、すべての人に好感を持つとか、持たれるとかいうわけにはいかないのが当然のことです。

2019年07月06日19時04分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(201)死刑制度をどう考えるか? 正木弥

思想犯に死刑制度があってはならないのは当然のことです。政治犯も含めて、ここでの議論から除きます。現在の日本の刑法で死刑となり得る犯罪は、殺人、放火などですが、その死刑制度は廃止すべきだ、という議論があります。

2019年06月29日9時51分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(200)神を愛するとはどういうことなのか? 正木弥

イエスは「『こころを尽くし、思いを尽くし、知力を尽くしてあなたの神である主を愛せよ』これが大切な第一の戒めです」とお答えになりました。では、この “神を愛せよ” とはどうすることでしょうか。

2019年06月22日21時09分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(199)キリスト教のいう愛とはどういう愛か? 正木弥

愛にはおよそ4種類あるといわれています。A)アガペーの愛、B)エロスの愛、C)ストルゲーの愛(肉親の関係による愛、自我の延長でもある)、D)フィレオーの愛(尊敬・共鳴による愛)です。

2019年06月15日20時12分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(198)褒められたい、称賛されたい、ということは悪いことなのか? 正木弥

多くの人が、他人の想念の中で架空に生きようとし、そのために見栄を張ろうとするようです。「われわれは絶えず架空の存在を飾り、それを維持しようと努め、自己の真の存在をなおざりにする」(パンセ147)

2019年06月08日21時42分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(197)他人が私の悪口を言う、どうしたらいいのか? 正木弥

他人が私について悪口を言っているのを耳にしたとき、まずは冷静になって、その言われるような事実があるのかないのかを(なるべく客観的に振り返って)点検してみることが大切です。あれば、その限りで直すように努力してみることは当然でしょう。

2019年06月01日20時22分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(196)人間の行いをどのように評価するのか? 正木弥

人の行いを分類すると善も悪もありますが、その中間でアディアフォラ(どちらでもよいこと)が多いようです。無論、動機や程度、状況にもよりますが、以下、あくまで外観で一般的な場合を見て、キリスト教的な見方により分類してみましょう。

2019年05月25日22時05分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(195)クリスチャンになると生活が窮屈で不自由にされるのではないか? 正木弥

子育てをしたことがある方は分かるでしょう。愛する子が病気や事故・事件に遭わないよう、さまざまな注意を与え、アレをしてはいけないコレをしてはいけないと禁止や指示をします。

2019年05月18日9時16分

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