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正木弥 正木弥 (まさき・や)  

1943年生まれ。香川県高松市出身。京都大学卒。17歳で信仰、40歳で召命を受け、48歳で公務員を辞め、単立恵みの森キリスト教会牧師となる。現在、アイオーンキリスト教会を開拓中。著書に『ザグロスの高原を行く』『創造論と進化論 〜覚え書〜 古い地球説から』『仏教に魂を託せるか』『ものみの塔の新世界訳聖書は改ざん聖書』(ビブリア書房)など。

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正木弥

なにゆえキリストの道なのか(173)天国は本当にあるのか 正木弥

天国は本当にあります。天国は、他宗教でも名前が違うことはあっても、あると主張されていますが、新約聖書では「天の御国」とか「神の国」とかの名前でたくさん記述されています。

2018年12月15日18時43分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(172)天国は信じる者の心の中にある? 正木弥

天国といっても、人の心の中だけで心理的に存在するものにすぎないではないか、という質問ですね。それなら、「そうではありません」と答えましょう。ご質問は、ルカ福音書17章20、21節から発しているかと思います。

2018年12月08日20時58分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(171)私は天国に行ける? 正木弥

誰でもこの世の命が終われば、天国に行きたいと思っています。天国は天の御国、神の国ともいいますが、そこは天地の主“神様”の御座、神様の本拠です。従って、御使いや神の子たちなどが行くところです。

2018年12月01日7時03分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(170)神はなぜ悪人をこの世ですぐに罰しないのか 正木弥

悪人であっても後に悔い改めて立ち直ることがあるから、それを求めておられる、待っておられるのです。人生の終わりまできちんと見届けて、最後の審判の時に罰すべきを誤りなく罰し、賞すべきは的確に褒め、報いてくださるのです。

2018年11月24日8時07分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(169)死後の裁きなどはない? 正木弥

筆者は、どうあろうとも、脅したくはない。だから、地獄についてあまり語りません。ただし、神の真剣さ、人生の厳粛さ、それ故、人生が裁きで精算されることだけはきちんと告げておかなければなりません。また、筆者は言わないが、聖書は語っています。

2018年11月17日12時36分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(168)死後に魂は絶滅する? 正木弥

「人がコペルニクスの意見を深く究めないのはまだしも・・・霊魂が可死であるか不死であるかを知るのは全生涯にかかわることである」。どの国どの地域どの民族でも、死後に魂の何らかの活動を信じている人が、魂の絶滅を信じる人よりも多いようです。

2018年11月10日22時55分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(167)最後の審判、天国や地獄があるというのは本当か? 正木弥

この世では、個人の人生でも社会全体でも、善悪が必ずしも貫徹しているようには見えません。悪が罰されるとは限りませんし、正義がいつも通るとは限りません。善人がいつも賞揚されるわけでもありませんし、悪人がいつも非難されるわけでもありません。

2018年11月03日7時45分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(166)神は人間の言動をすべて考慮して裁くのか? 正木弥

神は全知の能力により、一人一人が歩んできた全人生を過去も現在も知っておられ、かつ記録しておられます。あたかも、現代のビデオテープのごとく、きちんと再現できるよう、忠実に記録されているようです。

2018年10月27日22時14分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(165)神の裁きは罰やたたりとどう違う? 正木弥

罰(ばち)とは、日本の神仏が悪事を犯した人間に下す返報であり、悪事の報いです。たたりとは、神仏の意思に逆らうために受ける罰です。罰とたたりはよく似ていますが、たたりには物の怪(け)などから受ける災いを意味する場合もあります。

2018年10月20日20時00分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(164)神はなぜ人を裁くのか? 正木弥

神は人を自由意思を持つものとしてお造りになりました。その自由意思により、人は神に従うか、神よりも自分の考えを基に生きるか(即ち、自分を神の立場にするか)、どちらをも自由に選択できる存在とされました。

2018年10月13日20時22分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(163)救われた後の人生の意味は? 正木弥

救われた後の人生の意味は何か。人のこの世の人生の意味は、キリストを信じて救われること。キリストに出会い、信じることが人生最大の課題、必須の仕事、不可欠の準備である、といえます。

2018年10月06日19時29分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(162)そんな「救い」なら、あまり欲しくない? 正木弥

人が今の世でキリストを信じたときは、その時点ですぐに罪が赦(ゆる)され、神の子とされます。しかし、肉体のからだはこの世にあり、普通の人と同じように、事故・事件・病気・苦しみなどの災難、不幸に遭います。

2018年09月29日10時01分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(161)今すぐでなくてもいいではないか 正木弥

確かに、イエス・キリストの十字架の横で十字架にかけられた人は、いまわの時にイエスへの信仰を告白したので、パラダイスに行く者とされました。パラダイス経由で天国へ行くことは間違いありません。

2018年09月22日23時17分

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なにゆえキリストの道なのか(160)ざんげは神父様にしなければならないのか 正木弥

「ざんげ」と言おうと「告白」と言おうと「悔い改め」と言おうと、それらは、神に対して罪を犯したことを悔い、「二度としない」という決心をすることをいいます。神に対してすることであって、第一次的には、人に対してすることではありません。

2018年09月15日21時12分

正木弥

なにゆえキリストの道なのか(159)神は愛の神なのにどうして地獄を造ったのか 正木弥

人間の心情はどうであれ、神は、その聖性に相反する者は受け入れることをしません。神がせっかく「罪の人間をなんとか救ってやろう」との格別の愛に基づき、大きな犠牲を払って設けてくださった福音の道を拒むなら、“聖性”の原則に戻らざるを得ません。

2018年09月09日18時13分

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