日本の死亡者数は年々増加し、昨年度の年間死亡者数は160万5298人までになったそうです。実に多くの人がエンディングの弱さを体験しています。
孤独を抱える日本社会において、これらの弱さの極限(エンディング)に一貫して寄り添えるのは教会(牧師)だけですから(参考・第217回:弱さの極限(エンディング)に寄り添う)、教会は大きな社会的責任を担っていることになります。
教会(牧師)は非常に忙しくなる
一方、日本の中には約7千カ所のキリスト教会がありますが、仮に全国の地域教会がこれらのエンディングの全てに伴走しようとすると、一教会当たり年間約230人に対応することになります。
もちろん伴走する期間はまちまちですから、仮に召されるまで平均10日間寄り添う(伴走する)と仮定すると、年間で寄り添う延べ人数は230×10=2300人、1日当たりにすると2300÷365=6・3人になります。
加えて年間230人が召されるわけですから、一教会当たり毎週4~5件の葬儀に対応することになります。もちろん、全てがキリスト教葬儀になるわけではありませんが、増加している無宗教葬儀の司式にも牧師が対応できること、さらに、生前に寄り添うことで、おのずと仏式などの葬儀にも参列することになり、教会(牧師)は非常に忙しくなります。
信者は増え、教会数も多くなる
もちろん、地域教会が上記のように地域のエンディングを担うなら、多くの人が信仰を持つことが予想され、地域教会の数は増え、教会の牧師やスタッフも増加することになります。地域教会(牧師)当たりの負担は軽減するはずです。
また、現存する葬儀に関わるあらゆる事業とも連携するようになりますので、地域教会の経済的基盤は盤石となり、新会堂の建築や、多くの牧師や教会スタッフを支えることが容易になると思います。
エンディングを支える地域教会への期待
この10年ほどの間、私たちは、エンディングに関わる多くの事業者と関わり、地域教会が地域の葬儀文化を担う決心さえすれば、上記のようなことは夢物語ではなく、現実味を帯びてくることが理解できるようになりました。
その理由をまとめると、以下のようになります。
- キリスト教葬儀は、その他の葬儀に比較して格段に品質が高いと見なされ、日本社会に普及することが業者間では期待されている。
- 仏教離れが進む日本社会では、無宗教葬儀の比率が増えているが、葬儀社が遺族の祈りを支えることができず苦慮している。
- 牧師が無宗教葬儀の司式に対応することは比較的容易である。
- 葬儀関係者や僧侶は生前から当事者や家族に寄り添うことが難しいが、教会(牧師)は問題なく対応できる。
- 生前から寄り添ってエンディングを伴走すると、当事者だけでなく遺族も信仰に導かれることが多い。たとえ家の宗教を無視できず、仏式などの葬儀になっても信者は増える。
- 全国にある地域教会が葬儀事業の一部を担えば、いずれ葬儀社を介さずに、品質の高いキリスト教葬儀を低価格で提供できる。
- キリスト教葬儀の自由度は他の葬儀に比べて高いため、さまざまな趣向を凝らした葬儀が可能になる。
いずれにしても、地域教会が葬儀ビジネスを目指すのではなく、日頃からエンディングを伴走して住民の「善き隣人」になることを心がけるなら、地域社会から多大の共感を得ることになります。多くの日本人が天国の希望を持ち、日本宣教は大きく前進するでしょう。
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