私の住む六甲アイランド(人工島)は、神戸にしては珍しく平坦な遊歩道が整備され、毎朝、海を見ながら気軽に散歩する習慣が身に付きました。
人けのない海辺のフェンスから海の中をのぞき込み、時折大きな魚を見つけては楽しんでいますが、悲しみや心配事で心が痛んでいるとき、朝焼けの海に向かって祈りをささげることもありました。
そんな時、私の言葉にならない呻きのような祈りを神様は受け入れてくださり、祈りはやがて賛美に変わり、心を癒やす異言が与えられることもありました。早朝の短い祈りは、神様からの励ましを頂く再出発の時になるのです。
愛する人の死は大きな心の痛み
神戸に住んで11年、その間、3人の愛する家族を失いました。やり場のない心の痛みでしたが、海辺の祈りを通し、神様は支えてくれたように思います。
言葉で表せないほどの心の痛みであっても、祈りは歌になり、賛美になり、そして異言となって、心を癒やしていきます。
私のうちで 思い煩いが増すときに あなたの慰めで私のたましいを喜ばせてください。(詩篇94篇19節)
神様の愛に覆われ、大きな慰めを与えられ、やがて、全てが神様の御手の中で最善に至ることを悟るようになるのです。
慰めは宣教の力
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。(コリント人への手紙第二1章4節)
悲しみや苦しみは、決してうれしいものではありません。できれば避けて通りたいことには違いありません。
しかし、そのような中で得た慰めは、やがて多くの人を慰める力を備え、関わる人々へ祝福となって広がっていきます。神様は最善の道を備えてくださいます。

多死社会を迎え、多くの人が愛する人を失って、悲しみの中にあるのでしょう。愛する日本社会に、神様の慰めが豊かに届けられますように・・・心を込めて祈ります。
◇