英国のジョン・バニヤン作の『天路歴程』は、長年、多くの人たちに読み継がれた信仰書です。そこにはキリスト者が、人生において経験する葛藤や苦難、そして理想的なキリスト者の姿へと近づいていく過程が記され、幅広い世代の信仰者に影響を与えてきたように思います。
この物語の主人公は、最終的に「天の都」(天国)にたどり着くわけですが、それまでの道程が随分と険しく、容易にたどり着けない厳しさを感じることもあるでしょう。
信仰によって神の子となる
確かに、信仰を得た後の「聖化」の過程は、神様の子どもとして取り扱いを受け、厳しい側面はありますが、人生の苦難を乗り越えて余りある祝福が備えられているのも事実です。全ての苦難は益と変えられ、多くの人に祝福となって受け継がれていきます。
あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。(ガラテヤ人への手紙3章26節)
あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。(ペテロの手紙第一3章9節)
イエス・キリストの弟子たちは、そのほとんどが殉教したわけですから、決して平たんな道程ではなかったと思います。しかし、彼らの内には祝福の中にある希望と喜びがあふれていたことが、新約聖書に示されています。
キリスト教葬儀を求める問い合わせ
多くの日本人は信仰を持っていないため、実際のところ、「天国の希望」を明確に持つことができません。しかしやがて、全ての人の肉体は衰え、体の死を迎えるため、弱さの中で「天国の希望」を求めるようになるのだと思います。
そのような中から、キリスト教に好感を持つ方から、弊社に問い合わせが入ります。教会や聖書にほとんどなじみのない家庭からも、キリスト教葬儀の可能性を求めて生前の相談をされるのです。
彼らは、大切な家族が召されようとしている緊迫した中で、やむを得ず葬儀相談をされています。じっくりと状況をお聴きし、信頼関係を築きながら、葬儀とは別に、生前からの訪問を提案させていただきます。
生前訪問は祝福の扉を開く
もちろん、葬儀相談に対しては、どのような環境下でもキリスト教葬儀が可能なことをお伝えし、召された際に心を込めて対応するのは当然のことです。しかし、生前相談を受け入れてくださった場合は、神様の祝福の扉が大きく開くことになるのです。
それぞれの事例において詳細は異なりますが、多くの場合、神様の備えてくださった「善き隣人」(牧師)の生前訪問を通し、驚くほど短期間に当事者やその家族が信仰に導かれていきます。
全能の神様に心を開き、神の子どもとなり、天国の希望を得ていかれます。洗礼を受け、喜びながらエンディングを乗り越えて逝かれる方もおられます。究極の弱さの中にあるうそ偽りのない希望は、大きな祝福となって、家族親族に受け継がれていくのです。
人生の目標「天国」を迎え入れる
確かに、人生には多くの試練や苦難が伴います。それらを乗り越えるのは容易なことではありません。さらに、その行き着く先が、弱さの極限である体の死だけなら、天国の希望や喜びからは程遠いものになってしまいます。
しかし、私たちを愛し、ひとり子イエス・キリストを送ってくださった神様は、人生の苦難を乗り越えて余りある祝福を備えてくださっています。たとえ、体の死を目前に控え、弱さの極限であっても、全ての苦難は益と変えられ、驚くばかりの恵みとなって、祝福が届けられるのです。
まさに、人生の目標である「天国」を迎え入れることができるのです。
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