脳性麻痺と共に生きる(41)足の痛みともう1つの苦しみ 有田憲一郎

2017年12月10日06時08分 コラムニスト : 有田憲一郎 印刷
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小学部4年生から高等部2年生まで、普通校では林間学校と呼ばれている生活訓練が行われます。初めて経験した静岡県の伊豆下田で行われた3泊4日の生活訓練は、同級生が楽しそうにはしゃいでいる中、精神的に幼かった僕は寂しさや恐怖心で泣き、先生に甘えていました。

今思えば、伊豆下田と聞くと「すぐそこじゃん。近い、近い」、3泊と聞くと「3泊なんて、あっという間じゃん。1週間くらい行こうよ」と思ってしまいますが、当然のことながら当時は世界観もとても狭く、伊豆と聞くと「えらい遠い所」と感じ、3泊と聞くと、ものすごく長いように思えました。

しかし、いざ行ってみるとあっという間に感じ「もう、帰るの?帰りたくない」と言う自分がいました。帰って来ると「楽しかった。また行きたい」「次は、いつ行くの?」と話し、どこでもいいから同級生や先生と泊まりに行きたいと思っていました。

そんな僕でしたが、高等部1年生の時に右足が痛み出し、それまで何があっても休もうとしなかった学校も休みがちになっていきました。足の激痛で思うように布団から出ることも、長時間起きていることもできない状態になっていった僕は、「学校に行きたい。行かない」と痛みに耐えることで精いっぱいで、学校に行けない焦りと悔しさの中にいました。

その時僕は、どんなに体に障碍(しょうがい)などがあっても、毎日健康で学校に行ける何気ない日常の生活が、どんなに素晴らしく、どんなにありがたいことであるかを高等部の3年間で初めて実感し、布団の上で静かに思いを巡らせていました。

長い時間起きて座っていることもつらかった僕は、布団の中で横になり、テレビを見ながら「1時間でもいいから、何とかして学校に行きたい」「生活訓練が近いな。準備も始めているだろうな。何としてでも行きたい」と思っていました。そういう思いの中で、僕は普通とは違う少し楽観的で単純な考え方をしていました。

「明日、痛み取れるかな」と神に祈りつつ、また四六時中激痛で苦しむ中、「そうか。この痛みが取れればいいだけのことじゃん」と思い、まるでマンガの世界のように「痛みを取ってくれる魔法はないのかな。呪文を唱えたら痛みが消えて、普段通りに治って、ついでに普通に歩けるようになっていたりして。そうなれば最高だろうな」と考えていました。それは僕の切実な願いと思い、そして一筋の夢と希望でした。

しかし、現実はそう甘くもなく、簡単にはいかないものですね。僕の思いや望みとは裏腹に、痛みは治まるどころか激しさを増していきました。運動し過ぎた後の筋肉痛のように、一晩寝れば治り、何事もなかったかのように元気に、しかも車いすではなく足で歩き「おはようございます」と学校に通う。そんな願いは届きませんでした。

足の痛みと同時に、もう1つの痛みと闘っていました。それは口内炎でした。もともと体質的に口内炎ができやすかった僕は、幼い時から年がら年中口内炎ができていました。1つ治ったと思えば、悪循環のように2つ、3つと新たな口内炎ができていました。口内炎がまったくなくて、痛みがなく過ごせることが小さな幸せにさえ感じていました。

基本的に薬に頼らず、できるだけ自然に治したい考えの僕ですが、24時間続く足の激痛には耐えきれず、痛み出すと薬を飲み、気付けば薬に頼り、薬が手放せない生活を送るようになっていました。整肢療護園(現在の心身障害児総合医療療育センター)で処方してもらった強い痛み止めの薬を飲み始めると同時に口内炎が倍増し、口全体に口内炎が次々とできてしまったのです。

薬の副作用なのか、それとも痛みや思うようにいかないストレスやいら立ちからなのか分かりませんが、1度できた口内炎の治りも悪く、痛みのない日を過ごす方が珍しくなりました。話すのも、話を聞くのもおっくう、テレビや物音を聞くのも嫌で、いつもイライラしていました。

足の痛みは「何とかして!」と、その苦しみを必死で伝えるものの、口内炎になると家族には「またできちゃったよ」と笑い話のように言い、市販の口内炎の薬を飲んでいました。長年の経験から「こればかりは、誰かに言ったからって痛みが治まるわけじゃないし、医者に行っても治らないし、口内炎の薬も効かないし、耐えるしかないな」と思っていた僕は、口内炎ができていることも痛いこともあまり伝えず、ただ普段に生活をし、食事がしみるなどの激しい痛みにただ我慢するしかありませんでした。

体調が良い日に数時間だけ学校に行くと、口内炎に苦しんでいることなど知らない同級生や先生は、僕に話を求めてきます。心の中で「頼むから話し掛けないで。静かにして。話したくもない」と言いたい気持ちでしたが、そんなことなど言うわけにもいかず、愛想笑いでごまかしていました。

体調の良い日に2、3時間でも学校に通うと、先生や同級生から「今日は頑張って来れたね」と気遣ってくれ、「生活訓練には、日帰りでもいいし、1泊だけでも途中参加でもいいから一緒に行こうな」「一緒に行けるように頑張ろう」と励ましてくれました。

以前に書きましたが、全肢連(全国肢体不自由児者父母の会連合会)の関東甲信越のブロック大会と全国大会には、足の痛みを抱えながら参加していました。「父さんがいるから安心だ。心配はない」と言われながら、大会に参加するため全国を旅していました。

当時を振り返れば、足の激痛で休みがちになっていたにもかかわらず、「全肢連の大会に行くので休みます」と学校を休み、年に2回1週間ずつ楽しそうに旅に出掛けていた自分に、今思えば矛盾を感じます。しかし、全肢連の大会を通していろんな経験をして学べたことは、今となってみれば僕にとって大きな糧となっていて、「あの時、大会に行って正解だった。行ってよかった」と思っています。

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有田憲一郎

有田憲一郎(ありた・けんいちろう)

1971年東京生まれ。72年脳性麻痺(まひ)と診断される。89年東京都立大泉養護学校高等部卒業。画家はらみちを氏との出会いで絵心を学び、カメラに魅力を感じ独学で写真も始める。タイプアートコンテスト東京都知事賞受賞(83年)、東京都障害者総合美術展写真の部入選(93年)。個展、写真展を仙台や東京などで開催し、2004年にはバングラデシュで障碍(しょうがい)を持つ仲間と共に展示会も開催した。05年に芸術・創作活動の場として「Zinno Art Design」設立。これまでにバングラデシュを4回訪問している。そこでテゼに出会い、最近のテゼ・アジア大会(インド07年・フィリピン10年・韓国13年)には毎回参加している。日本基督教団東北教区センター「エマオ」内の仙台青年学生センターでクラス「共に生きる~オアシス有田~」を担当(10〜14年)。著書に『有田憲一郎バングラデシュ夢紀行』(10年、自主出版)。月刊誌『スピリチュアリティー』(11年9・10月号、一麦出版社)で連載を執筆。15年から東京在住。フェイスブックブログ「アリタワールド」でもメッセージを発信している。

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