聖書をメガネに 記憶と記録(その6)

2015年2月1日21時08分 執筆者 : 宮村武夫 印刷
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「一度にすべてではなく」

聖書をメガネに、記憶の豊かな実態を考えるとき、聖霊ご自身が人間・私の存在の奥深い根底に働き掛け続けてくださる事実を指し示す、ヨハネ14章26節「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます」。このヨハネ14章26節を出発点として、聖霊ご自身の働きに焦点を絞り、記憶について思い巡らしてきた小さな旅の報告をお伝えしました。

次に、さらに記憶と記録の相互作用について見たいのです。

ヨハネ20章31節において、「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである」と、記憶された主イエスの言葉や行為が記録される目的が明らかにされています。この聖書における記憶から記録を考察する場合、基本的指針はヘブル1章1節です。

「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られました」です。ここで直接語られているのは、旧約聖書の生い立ちと成立についてです。さらに新約聖書をも含め聖書全体が、一度にすべて書かれたのでない、「一度にすべてではなく」の単純な事実は、常に直視すべきです。(続く

(文・宮村武夫)

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