2019年末から始まったコロナ禍は、現代社会にさまざまな影響を与え、各分野に大きな変化をもたらしました。地域教会は信者の共同体ですから、共に礼拝することを大切にしてきましたが、そもそも集まることさえ難しい状況が続き、対策が求められました。
礼拝出席者が大幅に減少
これまでキリスト教会は、日曜日に地域教会に信者が集まり、礼拝を行ってきました。もちろん聖書は、日曜日を特別な日に定めているわけではありませんが、日曜礼拝は2千年近くも世界中で続けられ、大切な教会文化になっているのは確かです。
一方、日本社会では、日曜日は家族や地域の交流の日としての役割があり、教会の日曜礼拝を優先することでかなりのストレスを家庭や社会に与えてきたことは事実です。
そのような中、コロナ禍においては、教会の日曜礼拝に参加することが制限され、信者たちは、それぞれの立場で聖書を読み、祈る機会が増えたように思います。
同時に、信仰に基づくさまざまな発信がインターネットを通して行われるようになり、それらによって、各人が自分のペースで聖書理解を深め、礼拝をささげるようになりました。
現在はコロナ禍も終わり、以前のように、教会において毎週の日曜礼拝がもたれていますが、共に集まって礼拝する習慣がかなり崩され、礼拝出席者が大幅に減少したままの地域教会が多いようです。日曜礼拝を中心に活動してきた教会の在り方が問われていると思います。
信仰に関わる情報がオンライン上に増える
ネット上にある情報は、多くの人が異なった角度から発信していますので、情報をうのみにするのは危険です。しかし、バランスの取れた情報入手を行うと、より幅広い知見を得ることができます。
さまざまな教派の地域教会がオンライン礼拝を配信していますので、所属教会とは異なる礼拝のスタイルを容易に体験することが可能です。また、異なる教派からの情報も、自らの信仰姿勢や立場を確認する良い機会になっていると思います。
その他、聖書や教会についての気になる情報を配信するサイトもあり、これまで教会では尋ねにくい疑問にも、一定の理解を得る手段ができたことはありがたいことです。
信仰をベースにした政治勢力の台頭
コロナ禍を通し、大手マスコミからさまざまな誤情報が流れ、大きな混乱を招いたことで、これまでグローバル化の流れの中で、常識として扱われた情報の背後にある不都合な事実が、かなり明るみになりました。
それらに呼応するように、経済活動の拡大に沿ったリベラルな政治勢力に対し、人や国家の尊厳を大切にしたいと願う保守的な声が、政治の世界にも新しい流れを生んでいます。彼らの活動の多くは信仰によって支えられています。
例えば、米国のトランプ政権はプロテスタント信仰をベースに、ロシアのプーチン政権はロシア正教をベースに政局を安定させ、世界各地に大きな影響を与えるようになりました。
また、これまでグローバル化に支えられてきた欧州各国の政党は勢力を弱め、日本においても、リベラル路線を踏襲してきた自民党が選挙で大敗し、伝統的な歴史や文化を大切にする保守的な流れが増しています。
今後、それぞれの人、家族、国家の歴史、伝統の中で培われた純粋な信仰の大切さがはっきりと認識され、同じ神様を見上げる時代が来ることを心より願っています。
主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです。(エペソ人への手紙4章5、6節)
聖霊が指し示す新しい革袋
このような状況変化の中、聖霊が新しい革袋を日本社会に向けて示してくださっているように思います。その姿はいまだはっきりしませんが、私たちは謙遜になって聖霊の導きを待ち望みたいと思います。
新しい革袋が、日本社会に信仰と希望と愛の大切さを明確に示してくれることを心より期待しています。
いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。(コリント人への手紙第一13章13節)
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