人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。(箴言16章9節)
人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。(詩篇37篇23節)
しかし神は彼に言われた。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。(ルカの福音書12章20、21節)
今年は梅雨が異常に短く、猛暑の日々が続いています。この猛暑の夏、私たちは単に疲れ果ててイライラして終わるのではなく、躍動感と恵みのあふれる日々を過ごしていこうではありませんか。
週の初めに教会で礼拝を守ることで、幸せな一週間を送る魂の秘訣が与えられます。神様と出会い、神様と共に歩むことのできる、祝福ある人生をぜひ皆さんに体験していただきたいと思います。
1. 主は、人の歩みを確かにされる!
箴言16章9節と詩篇37篇23節には、私たち人間の歩みを確かにするのは主である、と書かれています。私たちは皆、自分の幸せや生きがいを求めて努力します。しかし、聖書は、その幸せのためには、命の与え主であり、天地宇宙全てを創造された神様との関係が必要不可欠であると語っています。
あなたの人生に神様が共にいてくださることは、幸せで平安な人生を実現するために、必要なことなのです。
2. 人の「命」は神によって守られている!
私たちの命ははかなくもろいものです。いつ事故に遭って亡くなるか、災害に遭って命を失うか分かりません。人として私たちが生かされているのは、神様によって憐(あわ)れまれ、守られているからなのです。
自分の人生は自分が動かしている、などと言うことができる人は一人もいません。私たち人間には、そんな究極の弱さや足りなさ、脆(もろ)さがあります。そのことを踏まえて人生を見つめておかないと、私たちは大切なものを見誤ってしまいます。
本当に自分の人生の幸せや生きがいを考えるときには、その究極の弱さと向き合う準備をしておかなければならないのです。
3. 究極の弱さを解決しよう!
ルカの福音書12章16〜20節は、イエス様が語られた例え話です。私たちは仕事の成功や、貯め込んだお金、自分の能力に酔いしれることがあります。しかし、それだけでは、「愚かさ」のまま終わってしまうことになりかねません。命が取り去られる時は誰にもやって来ますが、多くの人は、その準備ができていないのです。
私たちは弱いからこそ、私たちと共にいてくださり、人生の確かさを実現し守ってくださるお方が必要なのです。たとえ私たちの命が短く終わってしまったとしても、私たちの命を永遠に神の御国へ導いてくださるお方がおられるのです。
私たちは人生を「愚か者」の一言で終わらせてしまう者になりたくないと思います。救い主イエスを信じて生きるなら、神と共に生きる者として、天国の「いのちの書」に名前が記されるのです。人生の終わりに何の迷いもなく天国へ行ける、この恵みに感謝しましょう。
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