
フィリピンのマニラ首都圏に隣接するアンティポロで6月1~5日、「国際神の国地域開発会議」(IKCD2025)が開催された。アジア諸国における地域開発と福音宣教を統合的に捉え、「神の国」の価値観を現実社会でどのように実現していくかを探求する国際会議で、キリスト教国際支援団体「国際バプテスト・グローバル・リスポンス」(BGRI)などが主催した。会議には、アジアを中心に16カ国・地域から、さまざまな教派の約100人が参加した。以下に、講師の一人を務めたオリブ山病院理事長で牧師の田頭真一氏によるレポートを掲載する。
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神の国は小さな始まりから
1日目の6月1日は日曜日で、主日礼拝を兼ねた開会礼拝が、マニラ空港ホテルの会議場で行われました。礼拝では、マタイの福音書13章から「小さな種から繁栄へ―神の国のミッションの進展」と題して、私が説教を取り次ぎました。小さな診療所から始まったオリブ山病院の歴史を一例として紹介しつつ、神の国は小さな種のような存在から始まり、それが拡大してなされるという神のご計画を語りました。
この説教題は、IKCD2025の主題でもあり、イエス・キリストがマタイによる福音書13章で語られた「からし種の例え」に基づいています。最も小さな種が、やがて木となり、空の鳥がその枝に巣を作るように、神の国は見えないような小さなところから始まり、世界に広がっていく――。その霊的真理を、会議の最初のメッセージとして伝えました。
その中で、オリブ山病院創立時に務めていた最初の看護師が、2005年に召されたとき、「長い間待たせました」と言いつつ、イエス・キリストを信じて救われた事例を紹介しました。それはまさに、救霊の実が結ばれた瞬間でした。
このからし種の例えは、医療宣教の働きにもそのまま当てはまります。施設を建てることや数値的成果にとどまらず、祈りと忍耐をもって蒔(ま)かれた福音の種が、時を経て人々の癒やしと回復を生み、やがて地域共同体を変革していくのです。
イエスはまた、別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国はからし種に似ています。人はそれを取って畑に蒔きます。どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなって木となり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るようになります。」(マタイ13:31~32)
体・心・魂・社会的関係をも癒やす「全人医療」

2日目の6月2日は、午前に「全人医療」をテーマに1つ目の講演をしました。私が奉仕するオリブ山病院は、私の父である田頭政佐(せいさ)が1958年、沖縄の一角で開業した小さな精神科診療所「たがみ医院」として始まりました。当時は、医師である父一人と、開会礼拝で紹介した看護師一人しかいませんでした。このような小さな始まりでしたが、以来60年以上の歩みを経て、現在では回復期・亜急性期から在宅・ホスピス医療までをカバーする地域の主要な病院として成長し、750人以上のスタッフと7人のチャプレンが従事する、キリスト教主義を掲げる医療介護福祉施設となっています。
オリブ山病院のミッションは、「全人医療」の実践にあります。すなわち、体だけでなく、心、魂、社会的関係をも癒やす医療です。聖書に基づくこの視点は、現代医療が見落としがちな「霊的痛み」や「罪の赦(ゆる)し」といった根源的な癒やしを目指します。
講演では、マルコの福音書2章にある中風の人の癒やしの場面から、イエス・キリストがまず「あなたの罪は赦された」と宣言していることを取り上げました。イエスの癒やしは、単なる症状の除去ではなく、関係の回復と人格の回復を伴うものです。オリブ山病院のホスピスや精神科では、多くの患者が人生の終わりや孤独の中で、神との和解、家族との和解を経験しています。ある末期患者が信仰告白を経て洗礼を受け、家族と涙の再会を果たした事例は、まさにその証しでした。
IKCD2025は、英語と中国語の2つの会場で行われ、3日目の6月3日には、同じ内容の講演を、通訳を介して中国語会場でも伝えることができました。
「CCC原則」に立った医療制度との協働と挑戦

6月2日の午後には、「医療制度との協働と挑戦」をテーマに2つ目の講演をしました。現在の日本の地域医療は、1985年に導入された「地域医療構想」に基づいて展開されています。厚生労働省の指導の下、がん・脳卒中・心筋梗塞・糖尿病・精神疾患の5大疾病、救急・災害・周産期・小児・へき地医療の5事業が、地域ごとに設計されており、医療資源の適正配置が目指されています。
しかし実際には、医師・看護師の偏在や医療アクセスの格差は依然として存在しており、離島や過疎地では、十分な医療が行き届いていない現実があります。また、高齢化による多病併存も複雑化しています。そのためオリブ山病院では、離島医療を補完すべく、月1回の巡回診療を沖縄の4つの離島(座間味島、南大東島、北大東島、粟国島)で行っており、チームで医療と霊的ケアを提供しています。
こうした実践は「外から与える」支援ではなく、「共に歩む」宣教として位置付けられます。医療宣教とは、単に体を診察するだけではなく、とりなし、祈り、聞き、共に生きる証人としての業なのです。
オリブ山病院の医療宣教の働きは、国外にも及んでいます。ロシア極東のシベリアでは、教育と訓練を提供することで、現地にクリスチャンの医師が帰還し、診療所を運営するようになりました。タイのカレン族の村では、文化的背景を尊重した医療支援を展開しました。中国南部の広西チワン族自治区では、現地病院と連携して精神科の立ち上げを支援しました。
これらの実践に共通しているのが「CCC原則」です。すなわち、Context(文化・文脈の理解)、Continuity(継続的関係)、Cultivation(地域人材の育成)を柱とするものです。宣教は一過性のものではなく、神の国が根を張るまで待ち、仕え、育む営みです。
キリストにある一致と協働の麗しさ

IKCD2025では、さまざまなテーマの分科会が行われ、農業、教育、音楽、医療、環境保護、難民支援など、地域宣教における多様な分野横断的協働の可能性が議論されました。また、医療交流会、青年リーダーシップ訓練、アンティポロ・カーニバルといったプログラムも行われ、これらを通じて、神の家族としての一致と交わりを実感しました。
インドのクリスチャン医科大学の働き、ヒンズー教のカースト制度の最下層にいる人々に対する教育と宣教の働き、中国共産党の支配の下でも献身的に奉仕するキリスト教医療の働きなど、さまざまな事例を聞くことができました。
IKCD2025は、キリストにある一致と協働の麗しさを体験し、アジアにおける医療宣教と地域開発に対する新たな示唆を得る機会となりました。ここで与えられた交わりを通して、新しい実りがもたらされることを信じています。
私自身、クリスチャン人口の少ない日本で、いかにしてキリスト教理念を医療の現場で堅持するかは、常に重要な課題となっています。また、最近出版した『スピリチュアルケアの危機―イエス様の居ないスピリチュアルケア』に著したように、エキュメニズムなどに見られる教会の背教的動向や、世俗主義によるスピリチュアルケアに対する理解の混乱にも、課題を覚えています。そうした中、さまざまな困難や迫害に直面しながらも、それに立ち向かい、イエス・キリストの全人的な救いを実践し、福音を宣(の)べ伝えている人々と交わることができたのは、大きな励ましでした。
今後のビジョン
IKCD2025は単なる国際会議にとどまらず、神の国の新たな扉を開く「神の時」「カイロスの時」であったと私は確信します。今後は以下のようなビジョンを、祈りつつ進めていきたいと願っています。
- 臨床牧会教育(CPE)拠点のフィリピン、沖縄での設立
- 医学生向けの短期弟子訓練プログラムの提供
- アジア各国のキリスト教病院とのネットワーク形成
- 移動診療を用いた全人的統合型の地域医療モデルの拡充
私たちは、ただ「してあげる」のではなく、「共に育つ」という姿勢を取り続けたいと願います。全ては「主と共に」行う宣教であるからです。

IKCD2025では、フィリピンのバプテスト聖書神学校の神学生たちが多数奉仕に携わっており、その姿からも、キリストにある一致の力を見ることができました。最終日の閉会礼拝では、各国の参加者の証しと賛美を通じて、神の国の広がりを体感しました。
使徒パウロの言葉をもって、今回の報告を締めくくりたいと思います。
私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。(1コリント3:6~7)
IKCD2025は、単なる学びや発表の場ではなく、実践と祈りにより織り成された神の家族の交わりの場でした。神の国の実現を共に目指す同労者として、今後も歩みを共にしていきます。IKCD2025を通して蒔かれた福音の種が、神の御手によって実を結び、やがて各地に神の国の枝が広がっていくことを信じて疑いません。
オリブ山病院は今後も、全人医療、すなわち「体の癒やし・心のケア・魂の救い」のビジョンを掲げ、信仰に根ざした医療と宣教、福音と医療の統合による神の国の働きを、アジアと世界に広げていきます。
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