たとえ全世界を手に入れても・・・ 映画「ダリダ 甘い囁き」に見え隠れする「本当の幸せ」

2018年5月17日23時07分 執筆者 : 青木保憲 印刷
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©2017 BETHSABEE MUCHO-PATHE PRODUCTION-TF1 FILMS PRODUCTION-JOUROR CINEMA
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フランスの国民的スターにして歌姫であるダリダ。彼女は1950年代から80年代にかけ、常に第一線で活躍し続けた。アラン・ドロンとのデュエット曲「甘い囁き」は全世界でヒットし、彼女の歌の多くは日本でもカバーされた。

しかし1987年5月3日、自宅の寝室で睡眠薬を多量に服用し、自ら命を絶った。当時54歳だったダリダは、今なお全世界に多くのファンを持つという。

その彼女の半生を映画化したのが本作「ダリダ 甘い囁(ささや)き」である。このような大スターの半生を映画化する企画は数多くあるが、この作品が他のスター映画と異なるのは、スーパーアドバイザーとして、実弟のブルーノ・ジリオッティ氏が積極的に関与していること。通常こういう映画では、遺族は監督や製作者側と対立したり、主人公の描き方が彼らにとって心地よいものかチェックしたりする立場にある。だが、今回はダリダのプロデューサーであり遺族であるブルーノ氏が製作段階から関わっている。

つまり、本当に「見てもらいたいダリダ像」を映像化したということだろう。

物語は、ダリダが恋人の後を追って自殺未遂事件を引き起こすところから始まる。人気も実力も当時絶頂にあった彼女が、どうして自殺を試みたのか。それはどんな経緯からなのか。オープニングからミステリー仕立ての物語が展開する。

大スターの自殺未遂事件を受けて、彼女の周りにいた一人一人が、ダリダという歌姫をどう見ていたのかについて告白する形式で物語は転がり始める。

1933年にエジプトはカイロで生まれたダリダ(本名:ヨランダ・クリスティーナ・ジリオッティ)は、イタリア移民の音楽家家庭で育つ。幼いころに目の感染症にかかり、眼鏡をかけて過ごしたという。それがきっかけで、幼少期時代は「自分は醜い」と思いながら育ってきた(ブルーノ氏の述懐より)。

しかし16歳の時に眼鏡を外し、一念発起して美人コンテストに出場。見事優勝し、その翌年にはミス・エジプトに選出された。つまり、本当は美人だったということだ。やがて他者が彼女を見るまなざしと、彼女自身が自分を見つめる視線との乖離(かいり)が、後々まで彼女を苦しめることになっていく。

モデルを生業としていたヨランダは、1955年にパリへ進出。生活のために歌うことを決意する。そしてオランピア劇場で行われたオーディションが彼女の人生を大きく変えていく。芸名「ダリダ」としてデビューしたヨランダは、プロデューサーのエディ・バークレイ(後に彼らは結婚する)との出会いにより、「バンビーノ」という楽曲を生み出す。これが空前の大ヒットを記録し、その後はスター街道をひた走ることになるのだが・・・。

昔も今も、芸能人に憧れる人は多い。それにはいろんな理由があるだろうが、得てしてそれは「表の顔」と「裏の顔」を生み出すことになる。特に人気が高まり、素顔で表を歩けないほどになると、人前では喜怒哀楽を素直に表せられなくなる。ダリダの人生はまさにその典型的なパターンだといえよう。

映画では、「ダリダ」というスターの華やかさが描かれるのと同時に、感染症から自分に自信を持てなくなった少女ヨランダとして、自分の本音を素直に吐露する場面が度々登場する。彼女が本当に願っていたこと、それは「愛されたい」「素敵な結婚がしたい」「子どもが欲しい」というとてもシンプルなものだった。

言い換えるなら、ヨランダは「ダリダ」としていきるためにこれらすべてを犠牲にする人生を送ってきたということである。その結果、彼女は「ダリダ」として欲しいものはすべて手にしたにもかかわらず、ヨランダとして願ったものはすべて手からこぼれ落ちていく体験をしてしまう。愛した男性はすべて自殺で世を去り、本当に結婚したかったときには仕事を優先するよう説得され、願わない懐妊の故に堕胎を決断せざるを得なかった。

世界の人々に、歌や存在を通して文字通り「愛を与え続けた」彼女は、ついに一度も満足のいく愛を受けることはなかった。恋人や夫に対し、プライベートの場で「愛されたいの」と訴えたが、彼らは彼女をヨランダしてではなく、「歌姫ダリダ」としてしか見なかったということだろう。

ついに彼女は命を絶つ。その時、遺した言葉が「人生に耐えられない、許して」だった。

観終わって、思わず心に浮かんだ聖書の言葉がある。

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。(マタイ16:26)

全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。(コリント一13:3)

彼女はきっとこの聖書の一節を知っていただろう。しかし、それが内面に転化しなかったことをとても残念に思う。だが、そのような苦しみは大スター特有の現象ではない。今も私たちの人生にも起こり得ることである。

映画の冒頭、彼女が登場する前に一瞬だけマリア像が映される。それは彼女のカトリック的信仰心の表れだろうか。このワンショットは、彼女が懸命に生きようとするその様を優しく見つめているように私には思われた。

それは監督の視点であると同時に、彼女の唯一の理解者であった弟ブルーノのまなざしとも重なるだろう。傷つき、それでも懸命に歌うことに専心しようとするヨランダ(ダリダ)の傍らで、いつも心配そうに寄り添っていたのが彼であったことからしても、あながちうがった見方とはいえないだろう。

ヨランダが「ダリダ」ではなく、本来の彼女自身として遺した「人生に耐えられない、許して」という言葉。それは映画を観続けてきた者の心にも強く残されるものとなる。

本作は確かに世界的歌姫「ダリダ」の伝記ドラマである。しかし大スターのドキュメンタリーではない。彼女の内面、表の顔と裏の顔が対照的に描かれることで、その陰影の間を必死に生きようとした一人の女性の奮闘記である。

配給はKADOKAWA。5月19日(土)から角川シネマ有楽町、Bunkamura ル・シネマほか全国公開。

■ 映画「ダリダ 甘い囁き」予告編

映画「ダリダ 甘い囁き」公式サイト

青木保憲

青木保憲(あおき・やすのり)

1968年愛知県生まれ。愛知教育大学大学院を卒業後、小学校教員を経て牧師を志し、アンデレ宣教神学院へ進む。その後、京都大学教育学研究科卒(修士)、同志社大学大学院神学研究科卒(神学博士、2011年)。東日本大震災の復興を願って来日するナッシュビルのクライストチャーチ・クワイアと交流を深める。映画と教会での説教をこよなく愛する。聖書と「スターウォーズ」が座右の銘。一男二女の父。著書に『アメリカ福音派の歴史』(2012年、明石書店)。

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