心を診る(2)ひとりぼっち 宇田川雅彦

2014年11月9日19時23分 コラムニスト : 宇田川雅彦 印刷
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「ひとりぼっち」・・・遺書にはたったひと言、そう書かれていた。

忘れられない患者さんが何人もいる。なかでも、自殺してしまった患者さんは、決して忘れられない。この青年もそのひとり。私が診療した患者さんではなく、ある病院で、過去に自殺で亡くなった方々のカルテ調査をしたときに知った、直接に会ったことのない患者さんだ。

青年は故郷を離れ、都会でひとり暮らしをしながら大学生活を送っていた。奨学金を受けアルバイトをして生活費を稼ぐ、昔の言葉で言うなら「苦学生」だった。卒業まであと半年ほどになった頃、突然心の病を発症した。青年は故郷へ連れ戻され、精神科病院に数カ月間入院した。退院後、故郷の実家に帰った青年は、自分が置かれた状況を知り、絶望した。頑張ってやっと手にした就職の内定が取り消されていたのだ。実際のところなぜ取り消されたのか、その事情は明らかではない。また、都会の大学に復学することは主治医に止められ、そのまま故郷の実家で暮らすように勧められた。

しかし故郷には、病後の彼の不安や孤独、絶望感を和らげる人間関係がひとつもなかった。周囲の人々は、退院してきた彼の姿を見て「よかったね」と声をかけてくれはしたが、彼には何となくよそよそしく感じられた。親族たちは、身内が精神科病院に入院したことをどこか恥じているようにも見えた。実際には、人々は彼にどう接したらよいのかわからずに戸惑い、結果としてよそよそしくなったり、避けるような態度になったりしてしまったのだと思う。

幼なじみの友人らのほとんどは都会へ出ており、連絡の取りようもなかった。故郷に残っている友人もいたが、大学生活を頓挫させて帰郷した事情を打ち明けてまで再会する気持ちになれなかった。このように人間関係に消極的になるのは、病気が回復して間もない頃にはありがちなことだ。

肝心の家族はといえば、精神科病院へ入院した息子が退院できたことにほっとしていて、彼の心中を察するところまで至らなかったようだ。無理もない。山村の、決して豊かではない農家で、日中、彼の家族はそろって農作業に出て行く生活だった。静まりかえったさびしい山奥の実家で、彼は日中たったひとりで過ごしていた。

それでも彼はたったひとりで絶望のどん底から立ち上がり、仕事探しを始めた。毎日、ローカル線に乗って往復3時間以上かかる最寄りの地方都市の職業安定所(現在のハローワーク)へ通った。就職には運転免許が必要だと知り、教習所にも通った。それでもなかなか就職が決まらない。自信も希望もない。経済的・精神的な支えもない。何より、そのつらさを分かち合う相手がひとりとしていなかった。卒業が見えてきたのに頓挫してしまった学生生活への悔しい思い、精神を患った事実の受け入れがたさと将来への不安。これらを語る相手は、結局、通院先の主治医ただひとりだったようだ。

そんなある日、とうとう彼は故郷の川で自身の命を絶ってしまった。川岸には、毎日職安に通うときに背負っていた愛用の小さなリュックサックが残されていたが、中には、「ひとりぼっち」と、たった一言小さく書かれた便せんが入っていた。

自殺してしまう人の8割以上の人が、自殺を図るときに何らかの心の病にかかっていると言われている。また、ある種の心の病の自殺率は1割以上だと言われる。もっと自殺率の高い病もある。この青年が患った心の病の自殺率は、当時の文献の多くが13パーセント前後と報告していた。

私が精神科病院での自殺の調査を行った結果判明したのは、青年がかかった病気では、精神症状が最も激しいさなかに自殺するケースはわずか数パーセントに過ぎず、ほとんどの人が、目立った症状がおさまり、退院したり、社会復帰を考え始めたりする段階になってから自殺している、という事実だった。それは、病的な言動が消え、周囲も安堵し、観察の目を緩める時期でもある。

しかしこれを当人の立場から見てみよう。病気のさなか、異常な体験とそれに伴う不安や恐怖に苛まれ、混乱していた状態が一段落して、どうやら自分が心の病にかかったことがわかる。これから長く通院治療を受けねばならず、薬を欠かさず飲まねばならない。仕事や学校に復帰するかどうかはもちろん、何を始めるにもいちいち医師に相談せねばならず、そればかりか、将来のあらゆる希望と挑戦を、「まだ無理」「やめたほうがいい」とたしなめられる。冒険も挑戦も難しい、至極不自由な人生になってしまった、と感じることだろう。青年期は人生のスタートである。その時期に心の病の発症が多いのは残酷なことだ。青年期にとって人生は挑戦なのに、これからは、やることなすこと「病気の再発」を心配しながらになる。場合によっては希望も夢も断念せざるを得ない。こんな過酷な試練の中にあって、心を支える人間関係があるのとないのとでは全然違うのは明白だ。

心の病の回復期における自殺の多くは、理解出来ないような異常な心理状態の中で起きているわけではない。そして、心の病を負った人の自殺を防ぐことは、何も特別に専門的な知識を多く必要とすることでもない。それは、本人の苦痛について想像力を働かせ、孤立を防ぎ、孤独と絶望を和らげる関係を築くことであって、あなたにも出来ることだ。

※人物の背景はプライバシー保護のために変えてあります。

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宇田川雅彦

宇田川雅彦(うだがわ・まさひこ)

船橋市立医療センター精神科医。医学博士。特定非営利活動法人キリスト教メンタル・ケア・センター(CMCC)理事。医療法人財団シロアム会副理事長。日本同盟基督教団新船橋キリスト教会会員。

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