川口一彦
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新・景教のたどった道(27)唐代の漢訳書・その2『一神論』(4)世尊布施論③ 川口一彦
「世尊布施論」のメシアの裁判と十字架刑、復活と宣教命令の部分を紹介します。このように見ますと、聖書のストーリーとは似ていますが、そっくり書き写したというものではありません。
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新・景教のたどった道(26)唐代の漢訳書・その2『一神論』(3)世尊布施論② 川口一彦
「世尊布施論」の山上の説教の一部分を紹介します。本書の中に「飛ぶ鳥を見よ」の漢文があり、その部分を和訳しました。これらをマタイの福音書の山上の説教と比較すると、内容的には似ているものの、表現に違いがあります。
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新・景教のたどった道(25)唐代の漢訳書・その2『一神論』(2)世尊布施論 川口一彦
「世尊布施論」について紹介します。「世尊布施論」を見て聞いて、多くの方は仏教書かと感じるでしょう。以前にイーグレープから『景教』を出版した際にキリスト教書店にも置かれたことがあり、仏教書かと問われたことがありました。
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東回りのキリスト教東方景教セミナー 東京・世田谷で1月25日
「東回りのキリスト教東方景教セミナー」が1月25日、東京ホライズン世田谷チャペル(世田谷区桜丘5−21−7)で行われる。講師は、日本景教研究会代表で愛知福音キリスト教会宣教牧師の川口一彦氏。
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第4回中国景教ツアー参加募集 3月16〜20日
日本景教研究会代表で愛知福音キリスト教会宣教牧師の川口一彦氏を団長に、北京・西安・内蒙古唐代の景教や、元代の也里可温(エリカオン=福音の意味)教の遺跡を巡る「第4回中国景教ツアー」(イーグレープ主催)の参加者を募集している。
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新・景教のたどった道(24)唐代の漢訳書・その2『一神論』(1) 川口一彦
『一神論』は、中国宋代(960〜1279)初期に中国敦煌の石室で発見され、京都の富岡謙蔵(桃華)の蔵書となり、1918年に発表されました。これには「喩第二」39行、「一天論第一」132行、「世尊布施論」197行の小三篇が収められています。
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新・景教のたどった道(23)唐代の漢訳書・その1『序聴迷詩所経』(4)イエスの十字架と復活の記事 川口一彦
この箇所はピラトを大王、十字架を木としていますが、メシアへのののしり、侮辱、着衣のくじ引き行為、罪状書、死の叫び、神殿の幕が裂けたとの記事は見当たりません。それは聖書をそのまま記すのでなく、下準備のために書いたのかと考えられます。
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新・景教のたどった道(22)唐代の漢訳書・その1『序聴迷詩所経』(3)イエスの洗礼記事 川口一彦
メシアの洗礼式に関する漢訳記事を紹介します。この記事はマタイの福音書3章16節の要約のようで、漢語のヨルダン川が「述難」「多難」、メシアが「弥施訶」「弥師訶」と表記が不統一で、さらに聖霊の顔がハトに似ているとの用語も聖書とは違っています。
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新・景教のたどった道(21)唐代の漢訳書・その1『序聴迷詩所経』(2)イエスの降誕記事 川口一彦
イエスの降誕記事を紹介します。天尊(父なる神)は涼風(聖霊)を、名を末艶(マリア)という一童女に向かわせると、涼風はマリアの腹の中に入りました。すると天尊が教えた通り、末艶は懐妊しました。
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新・景教のたどった道(20)唐代の漢訳書・その1『序聴迷詩所経』(1) 川口一彦
『序聴迷詩所経』(イエス・メシア経と呼ばれる)は、イエス・メシアの降誕と洗礼、十字架と復活の記事、マタイの福音書5章から7章の山上の説教部分が多く引用されていることから、その名がつけられたと考えます。
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新・景教のたどった道(19)唐代景教最初の宣教師、大秦国の阿羅本について 川口一彦
阿羅本は大秦國の人で読みは不明。アラホン、アラベン、アブラハム、アルワーン、アロペン、ラバンなどの読みがあります。ペルシアからシルクロードで入唐した景教徒初代宣教師。生没年は不詳。
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新・景教のたどった道(18)中央アジアの遊牧民と景教徒ソグド人 川口一彦
シルクロードと重なる道にステップロード、草原の道があり、はるか昔から遊牧民の東西南北の移動によって貿易が盛んに行われていました。それは今も続いており、車社会になりつつある中でも馬やラクダが用いられています。
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新・景教のたどった道(17)敦煌で発見された景教文書について 川口一彦
この地で、以下に掲載する景教経典と讃美書が発見されました。一神論の中の世尊布施論の末尾に641年と書かれています。太宗皇帝の貞観15年のことで、序聴迷詩所経も阿羅本による翻訳書殿での作と考えられます。
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新・景教のたどった道(16)唐代中国の敦煌で発見された景教徒の壁画と古文書 川口一彦
日本のように豊かな水と緑に囲まれている島国とは違い、緑も水も見られない敦煌やトルファンの砂漠の地で、当時多くの果物が栽培や販売もされ、ブドウも多く作られていました。
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新・景教のたどった道(15)マニ教と景教 川口一彦
当時のペルシアから、中央アジアや中国国内に入り込んで社会に認められ、自分たちの名を上げて世界宗教になるよう企てた異端カルト集団にマニ(漢訳で摩尼、摩尼光佛)教があります。
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新・景教のたどった道(14)高昌においてシリア語による降誕賛美礼拝をしていた景教徒たち 川口一彦
唐代の高昌にあった景教会堂では、降誕節にシリア語で賛美礼拝をしていました。1905年に高昌故城を調査するために団長として入ったドイツ人の考古学者で探検家のル・コック(1860〜1930)が発見した、景教徒たちのシリア語賛美集で分かります。
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新・景教のたどった道(13)中国・高昌での景教壁画 川口一彦
現在の中国の新疆ウイグル自治区トルファン付近に、漢代や唐代に栄えた高昌(コーチョ)都市があった。この地は中央アジアと中国、インドを結ぶシルクロードの重要地点で、仏教、マニ教、景教も盛んであった。
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新・景教のたどった道(12)中央アジアに広まった東方教会 川口一彦
中央アジアは、草原の道とシルクロードの道が重なり、東西南北をつなぐ中継点でした。そのために多くの民族や商人たちが行き交いました。交易をしていたソグド人といわれる人たちは、この所で起きていったといわれています。
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新・景教のたどった道(11)東方教会の歴史小年表と地図 川口一彦
旧約時代のイスラエル民族がアジア各地に離散し、主な祭りに母国に帰還する。紀元前5頃、メシアの降誕に東方ペルシアからの博士たちがメシアを礼拝し、帰国してメシアの降誕を伝え広める。マタイの福音書10章6節、イスラエルの失われた家への宣教。
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新・景教のたどった道(10)東方教会の特徴 川口一彦
紀元後、ローマ帝国領のユダヤから多くのメシア信仰者たちが迫害を逃れて東方に向かったため、信徒たちが増えていきました。一方、ペルシア帝国内では、皇帝やゾロアスター教徒からの迫害や大虐殺によって多くが殉教し、背教も起きました。
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