東京都内や近県の諸教会・団体が協力して開催する「第61回首都圏イースターのつどい」が7日、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会(東京都新宿区)で開かれた。
毎年恒例の救世軍ジャパン・スタッフ・バンド(JSB)による演奏や、会場の淀橋教会インマヌエル聖歌隊による賛美に加え、今年は音楽ゲストとして、4人姉弟の賛美ユニット「Ruah Worship(ルア・ワーシップ)」の姉妹3人が出演。メッセージは、チャーチ・オブ・ゴッド川崎キリスト教会の古波津真琴牧師が、「あなたの闇がどのようなものだとしても」と題して伝えた。
首都圏イースターのつどいは、80余りの教会・団体が協力する歴史ある伝道集会で、毎年イースターに近いこの時期に開催されている。コロナ禍には、半世紀を超える歴史の中で初めて延期を経験したり、入場制限などにより参加者が100人を下回ったりする年もあったが、今年は参加者が概ね回復した昨年をさらに超え、330人以上が参加した。
開場前には、JSBが通りに面した教会前の広場で野外演奏を行い、行き交う人々に参加を呼びかけた。この野外演奏は昨年初めて取り入れられたもので、今年はさらに、救世軍のタンバリン隊による演奏も数年ぶりに披露された。
集会では、会衆賛美として、参加者全員で聖歌172番「墓の中に」を歌い、淀橋教会インマヌエル聖歌隊が「ハレルヤ、主は今も生きて」を賛美。ルア・ワーシップは、マリアンさん、エリカ・グレイスさん、ジュリアさんの姉妹3人で、「ジョイ・ジョイ・ジョイ」「主に罪を赦(ゆる)され」「イエスがいるから」の3曲を歌った。
ヨハネの福音書1章1~5節、8章12節からメッセージを伝えた古波津牧師は、大学卒業後、宣教の訓練を受けるため、約1年半滞在したメキシコでの体験を分かち合いながら、なぜイエス・キリストの十字架が私たちにとって光となり得るのかについて語った。
古波津牧師が関わったメキシコの宣教チームは、ジャングルの奥地に住むクリスチャンの集落に医師を派遣したり、支援物資を届けたりする働きを行っていた。宣教チームは川沿いにある幾つもの集落を小型の船を使って移動していたが、ある日、スコールによる激しい雨が降る中、文字通り「真っ暗」といえる明かり一つない闇夜を移動したときがあったという。
20年の経験があるという水先案内人の自信に押され、心配しながらも出発した宣教チームだったが、途中でエンジンが停止するという思わぬトラブルに遭遇。船は瞬く間にコントロールを失い、水先案内人も含め皆がパニックに陥った。しかし、同船していた牧師一人だけは、船に入り込んだ水を冷静にくみ出していたという。「その(牧師)先生の周りだけ、静けさがありました」。すると、雨の激しい音が突然聞こえなくなり、古波津牧師の耳にある言葉が響いた。
「おまえは、私に信頼するのか」
そして、頭の中に迫ってきたのが、ローマ人への手紙10章11節「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない」の御言葉だった。次の瞬間、雨の激しい音が戻り、船の上は相変わらずのパニック状態だったが、古波津牧師の心は自然と穏やかになった。その後、重りを付けたロープを川岸の木に投げて巻き付け、船を何とか陸地にたぐり寄せることができ、古波津牧師らは事なきを得た。
「神の言葉が全くの暗闇の中で、自分の心に光をともした瞬間を経験しました」。古波津牧師はそう振り返り、「どんなに闇が深くても、お先真っ暗だと感じても、神の言葉は自分に必ず届くんだ」と心から感じたと話した。
その上で古波津牧師は、ヨハネの福音書1章5節「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」を引用しつつ、この「光」はイエス・キリストだと説明。そして、そのイエスが最も輝いた瞬間は「十字架と復活」だと強調した。
死からのよみがえりである復活が光だとしても、なぜ残酷な処刑である十字架が光なのか。古波津牧師は、イエスが受けた十字架という処刑がいかに苦痛を伴うものであったのかを語りつつ、その残酷な処刑は本来、罪人である私たち一人一人が受けるべきものであり、それをイエスが身代わりになって受けられたのだと説明。十字架はまさに「イエスのあなたに対する愛です」と伝えた。
メッセージ後には招きの時が持たれ、新たにイエスを信じたり、信仰から遠ざかっていたが再びイエスに従うことを決めたりと、さまざまな決心をした人がステージ前に進み出た。そして最後には、実行委員長の姫井雅夫牧師(日本基督教団赤坂教会)が、参加者一人一人のために神の祝福を求めて祈りをささげた。