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不条理なる死を不可知の光で中和せよ

命の木はどこに行ったのか 再び創世記(その3)

2023年12月14日22時52分 コラムニスト : 藤崎裕之
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関連タグ:創世記藤崎裕之
不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(59)+

不条理なる死を不可知の光で中和せよ―キリスト教スピリチュアルケアとして―(59)

※ 前回「命の木はどこに行ったのか 再び創世記(その2)」から続く。

残念ながら死の向こう側には手を出せない

命の木はどこに行ったのか。せっかくエデンの園に植えられたものだ。それは「神の命」を象徴しているものだから目に見えなくてよいのだ。と言ったら逃げになるだろうか。もしもわれわれが、命の木に手を伸ばしたら神の主権を侵害してしまうことになるから、考えるに及ばないことなのだろうか。

神はどういう意図を持って命の木に至る道を閉じられたのだろうか。私は気になるが、残念ながらこの疑問に答えるすべはない。神の意図を深掘りするのはよくないのだ。とはいえ、われわれが命の木に対する興味を失うことではないと思うのではあるが・・・。

さて、人間は知識の木の実を食べて善悪を知ったというのだが、では、命の木の実を食べたらどういうことになるのか。聖書によれば永遠に生きる者になると。それを防ぐ意味で、エデンの園が封鎖されたというのも事実である。しかし、私があえて疑問に思うのは、「神は人間が永遠に生きることを望んでおられないのか」ということである。神は人間が死することを望んでおられるのか。

ここで少々神の意図を深掘りしてみよう。命とは不思議である。いや、不思議でないと困る。なぜなら、命の源は神であるからだ。もし人間が「命の奥義」を知ってしまうと、危険なのではないか。もちろん、それは神にとって危険なのではなく、私たち自身にとってだ。

「命の奥義」をあえて定義するなら、それは、生きて、死んで、そして「よみがえる」という命のサイクルだ。よみがえるという言葉を「永遠の命」と置き換えてもよい。人間とは、生きて、死ぬ、この2つは確実に起こり得ることであるが、その先に何があるのかは分からない。死後の命があるとしても、それは今の命の繰り返しではない。食う、寝る、遊ぶ(ちょいと古いか・・・)の延長ではないのだ。

誰かが「誰も死を経験できない」と語ったらしい。「誰も死の経験を語り得ない」と言うべきだと思うが。人間は死のその向こう側にある世界には手出しできないのだ。そういう意味で、よみがえるということに関していえば人間は無力である。だから幸いなのだと私は語るのであるが、だから不幸なのだと語ることはもちろん自由だ。事実、私も残念だとは思う。でも、そのおかげで気楽でもあるのだ。

エデンの園への冒険談はあまりない

「命の奥義」というものが、命の木に備わっているかどうかは分からない。誰もその実に手をつけていないからだ。だとしても期待感があるではないか。しかし、命の木の実を食する冒険談などはほとんど見聞きしない。そのような小説や映画があってもよさそうなものだが、実のところほとんどないように思う。少なくてもメジャーではない。結局のところ、そのテーマはあまり好まれないということだろう。

つまり、何となく人間は命の木の実だけは手を出しちゃいけないという感覚があるのではないだろうか。私自身についても命の木を探し出そうと考えたことはない。なぜだろうかとしばし思うのであるが、もしかしたら、それはもう存在などしていないと意識しているのかもしれない。そもそもエデンの園の話は空想であり、人間の罪深さを説明する手段なのではないかと思っていたところもある。

むしろ、エデンの園にわざわざ行かなくても「命の奥義」に手が届くと、わが心は密かに期待しているのではないだろうか。実のところ、自分の手の届く範囲(物理的にも精神的にも)で命の木は見つかるかもしれないと思いつつ、生きてきたのではないだろうか。とはいえ、はっきり言えば私はまだそれを見つけていないのだが。

命の木の実に代わる価値がある?

命の木の実を食べたいと願わないとしたら、よくよく考えたらそれこそが神の創造への不信と言われても致し方ないのであるが、どうもそういう声は聞かない。であるなら、命の木に相当する別の価値があって、それはもちろんこの世界においてわれわれがある程度は手にすることができるという予感が、人間にはあるからではないか。幻の木の実を探さなくても、もっと身近にそれに代わる「命の奥義」を期待できるからではないのか。

そしてそれは、神から与えられると期待するなら宗教へ向かうし、神に期待しないなら自然界に求めることになるだろうし、何も期待しないのであれば無神論となるだろう。生きて、死んで、「はい、終わり」だ。そうではなくて、生きて、死んで、その先を求めるなら、やはりよみがえるという(その形が何であれ)命のサイクルを確信しないでどうするのかということになる。

確信とは大抵の場合は自認ではない。降って湧いてくる類いなのだ。いわゆる「ピンと来る」というやつだ。降って湧いてくる不思議な確信というものに身を委ねるなら、それが宗教なのである。であるから、私としてはそれをキリスト教的に実現したいわけだ。

結論としては十字架なのだ

というわけで、突然に結論を言う。エデンの園にあった命の木はどこに行ったのか。それは、あの方がはりつけにされたあの場所。そういうことでつじつまが合うのだ。キリスト教的に言うならば、「命の奥義」とは、神の子であるイエス・キリストの誕生であり、死であり、そしてよみがえりなのだ。他にはない。だから命の木は、飼い葉桶で生まれたイエスであったし、やがて十字架で死なれたイエスであったし、それは個々人にとっては天の国への階段ともなり得るのではないか。「さあ、そこにこそわれらが探し求めるものの答えがある」ということで結論としておこう。誠にお粗末で申し訳ないが・・・。(終わり)

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◇

藤崎裕之

藤崎裕之

(ふじさき・ひろゆき)

1962年高知市生まれ。明治から続くクリスチャン家庭に育つ。88年同志社大学大学院神学研究科卒業。旧約聖書神学専攻。同年、日本基督教団の教師となる。現在、日本基督教団隠退教師、函館ハリストス正教会信徒。

※ 本コラムの内容はコラムニストによる見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
関連タグ:創世記藤崎裕之
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