最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。(ピリピ人への手紙4章8~9節)
クリスマスが近づいています。これを大きな伝道のチャンスと捉えて、周りの人々が救われることを体験しようではありませんか。やはり、このチャンスを生かさなければなりません。私たちは、はなはだ悪がはびこる世の中で、それを中和する以上に、良い世界に導くことを語りたいのです。
では、具体的にどうすればいいのでしょうか。パウロはこの箇所で、「真実なこと、誉れあること、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することに心を留めなさい」と語っています。
この時、彼は投獄され、明日をも知れぬ命でした。しかしその中でもこの言葉を語ったのはすごいことです。3つのことを確認したいと思います。
1. 神の目にも良いと言われるものを選び取る
私たちはクリスチャンとして、神様が喜ばれる良いことを思いつく天才でありたいのです。人をだますことばかり考えているような人々のようではなく、どうすればみんなが幸せになれるかを考える者になりましょう。
神様の目に、誰がどう考えても喜ばしく、愛すべきことで、人を幸せにし、神に喜ばれる清らかなことだというものを考えつく天才となりたいのです。ここでパウロは、神に喜ばれる良いことのバリエーションを語っているのです。あの手この手で良いことを考えつく私たちでありたいと思います。
2. 継続性があることが重要
ここにある、心を留めなさいという言葉は、ギリシア語の言語では、留め続けなさいという継続の意味を含みます。良いことを願い続ける者でありたいのです。それが人生の生きざまになり、それが私たちを突き動かすものになると、必ず祝福されていくのです。
この獄中書簡の一つと呼ばれるピリピ書の有名な言葉は、「喜びなさい」です。彼はいつどのような状況の中にあっても、神にあって喜んでいたのです。それが彼の生きざまになっていたのです。私たちも、たまにとか1回だけというのではなく、常に自分に関わる人々が救われて幸せになること、リバイバルが起こることを描き続ける者でありたいのです。
3. 実行する者になる
見ているだけ、聞いているだけで分かったつもりになり、何もしない者で終わらないように気を付けたいと思います。クリスチャンの信仰は、実行してこそ意味があります。イエス様が互いに愛し合いなさいと言われるなら、憎んだり呪ったり悪口を言うよりも、愛してみることです。与えなさいと言われるなら、人からもらうことを期待したり奪おうとするのではなく、実際に与えてみることです。互いに仕えなさいと言われているのですから、自分の方が愛が深いとか、賢いというのではなく、仕えてみることです。そのことを通して、神の恵みは私たちのために実現するでしょう。
最高に良いことを思い描きながら、それをずっと忘れず、実際に行動してみることが、私たちに神様の大きな恵みをもたらすことを知りたいと思います。このクリスマスに向けて、また来年5月の愛と希望の祭典・四国に向けて、私は最高に祝福された姿を心の中に描き続けたいと思います。
それをいつも心に留め続けましょう。そして、それが実現するように、できることを一つ一つ行動していきたいと思います。パウロが語ったこの御言葉が、2千年前の牢屋の中でのつぶやきで終わることなく、2025年の私の人生にも実現してくださいと祈りましょう。
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